日本の多くのキリスト教会では、路上生活者や生活困窮者への炊き出しなどの支援活動を行っている。しかし、その活動が社会の中でどう機能し、支援されている人々は何を感じているのか? それが考察されることはほとんどない。近年、宗教社会学の分野では、宗教団体の社会活動に関する研究が盛んになってきている。
宗教社会学者・白波瀬達也氏(関西学院大学社会学部准教授)による『宗教の社会貢献を問い直す』は、日本最大の日雇い労働者の町である大阪・釜ヶ崎でのキリスト教会による野宿者支援活動の実態を、2003年から約13年間、数百回以上現場を訪れて行った調査を基に、宗教社会学的視点から考察がなされた力作だ。また、1990年代以降盛んに行われるようになった韓国系プロテスタント教会によるホームレス支援や、沖縄におけるキリスト教NPOによるホームレス自立支援事業についても取り上げられている。
白波瀬氏は本書で、現在の社会福祉活動の研究では、宗教という側面からはほとんど研究がなされていないことを指摘し、「宗教と結び付きのある組織=FRO(Faith-Related Organization)」という概念を使用することで、日本のアカデミズムで見過ごされてきた宗教と社会活動の関係を捉え直そうとしている。
日本のホームレス問題
日本の路上生活者(ホームレス)は、2003年には2・5万人とされていたが、ホームレスへの生活保護制度の在り方が見直される中、厚生労働省の調査によると、14年には約7500人(15年には約6500人)となっている。しかし一方で、地域社会からホームレスを「排除」する圧力が強まっており、14年の調査では対象者347人の野宿者のうち126人が、襲われた経験を持っていると回答している実態があるという。NPO法人ホームレス支援ネットワークによると、全国でホームレス支援を行っている76団体9個人のうち23団体が何らかの宗教に結び付きのある団体(FRO)であり、その多くがキリスト教系団体だという。
釜ヶ崎の今とキリスト教会の支援
釜ヶ崎では、バブル経済絶頂期の1989年には年間約187万件あった求人が、20年後の2009年には約33万件にまで落ち込み、日雇い労働者が野宿生活を余儀なくされるようになった。その後、住所不定者への生活保護の適用が進み、簡易宿泊所(ドヤ)を転用した「福祉アパート」も提供され、今では「福祉のまち」に変わっているという。
キリスト教による支援活動は、1933年にカトリック女子修道会のセツルメント活動として始まった。その後、教派を超えたネットワーク型組織「釜ヶ崎キリスト教協友会」ができ、ホームレスへの生活保護適用の進展など多くの成果を上げてきた。さらに、1990年代後半からは新たに韓国系のプロテスタント教会の活動が広がり始めたという。
「運動型」と「布教型」の教会
白波瀬氏は、釜ヶ崎でホームレス支援を行うキリスト教会を2つのタイプに分類する。1つは「運動型」で、釜ヶ崎キリスト教協友会を中心に40年以上の活動の歴史を持つ。社会構造を問題の原因として考え、行政への要望活動や支援策を提案し、野宿生活からの脱却を図ろうとする傾向がある。一方、1990年代以降増加した「布教型」の教会は、炊き出し活動など熱心な活動を行うが、政治や福祉制度には関心を持たず、「罪」の悔い改めと内面的な救済を強調する。この両者の教会にはほとんど接点がなく、併存して活動しているという。
教会を訪れる人々の内面世界
野宿者にとって伝道集会での食事は命綱となる。教会の名前を知らなくても、「カレーの教会」「どんぶりの教会」と識別している人もおり、それは野宿者が生き抜くための戦略であると、白波瀬氏は述べている。しかし同時に、説教や礼拝が説得力を持つこともあるという。野宿者は家族や会社から切り離され、普段は互いの経歴に触れることはタブーの「匿名」の世界で生きている。「承認の不在」の中、生きる意味を求めて教会を訪れる人もまた確かにいるのだ。
ある野宿者の言葉は象徴的だ。
だからまぁ言うたら炊き出し目当てですわな。でも、それだけと違って、せやねえ、牧師とね、握手するためですわな。伝道集会に行ったら、牧師が「元気にしとったか?」って握手してくれるんやね。それが嬉しいてね。昔はずいぶん世話になったしね、顔見せにいってるんですわ。
教会は食事を提供してくれるとともに、自己を全人格的に受容してくれる場所でもある。その中で自分の生をより肯定的に受け止めることができるという側面も確かに存在すると、白波瀬氏は述べている。
韓国系プロテスタント教会のホームレス支援
韓国系プロテスタント教会による「布教型」の支援の様子についても、詳しく報告されている。 1985年に40坪の小さな教会としてスタートした東京中央教会(新宿区)は、現在は1500人の収容能力を持つ大規模な教会となっている。敷地内にシャワー室を設置し、美容師の信徒が散髪を行うほか、信者間のネットワークを通して求人情報も提供する。また、教会内の増改築や外壁工事、設備メンテナンスを、野宿者の人々に仕事としてしてもらうことで、役割分担を与えているという。2014年までのここ12年間に550人が洗礼を受けたという。
これらの「布教型」教会では、生活保護や自立支援制度などよりも、「霊的次元の救済活動」に力点を置いているという。引用されている地の果て宣教教会の牧師の言葉が象徴的だ。
主はせっかく福音を聞かせるために、人々を路上に連れ出しているのに、社会復帰を名目に支援することは神の意志に反しています。(中略)野宿者になったことによって教会に来るようになり、生きる意味と価値を見つけた人はいっぱいいるわけです。それを元に戻して福音から遠ざけるのは霊的ではないし、 良くない。
そこから白波瀬氏は、韓国系プロテスタント教会のホームレス支援は、「信仰に基づいた野宿者の自立支援活動」というよりも、「自教会の信者形成」に重点があると指摘している。
沖縄ベタニヤチャーチの試み
さらに、「プロミスキーパーズ」というNPO法人を設立して活動している那覇市にある沖縄ベタニヤチャーチの活動も紹介されている。
この団体では、①アウトリーチ、②宿所提供、③職業訓練、④職業紹介の4つの活動を行っている。職業訓練では、廃品回収など多岐にわたる事業を行っており、これまでに入所者の7割近くが就労しており、企業を直接訪問しての職業紹介も行っている。また、スーパーや米軍、NGO団体など200以上の企業・団体から支援を受け、司法や医療の分野、また国や地方自治体とも協力しているという。白波瀬氏は、このプロミスキーパーズの取り組みを、ホームレスの自立支援の新たなモデルとして高く評価している。
「関係性の回復」の役割も担う教会の支援
白波瀬氏は最後に、北九州でのホームレス支援活動で知られる奥田知志(ともし)牧師の「野宿者は『物理的困窮=ハウスレス』と『関係性の困窮=ホームレス』をあわせもった存在であり、支援において物理的支援だけでなく、関係性を回復することが重要である」という論点を引用しながら、キリスト教会の支援は物理的支援を行いつつ、関係性の回復においても一定の役割を持っていると評価している。しかし、支援に偏りがあるケースや、「場」を提供するだけでは、野宿からの実質的な脱却に必ずしもつながらないことも指摘している。これらの課題を含みつつも、日本では宗教の社会参加の機運は今後ますます高まることが予想されるとし、「宗教と社会」「宗教と福祉」の関係をさらに深く捉える必要性を訴え、本書を締めくくっている。
これまで、奥田牧師の北九州での活動や、『釜ケ崎と福音』で知られる本田哲郎神父の釜ヶ崎での活動など、キリスト教会のホームレス支援については、ある程度認知されてきた。しかし、その他のキリスト教会による多様なホームレス支援の実態や限界について、宗教社会学的視点から冷静な分析がなされている本書は貴重である。それは、「貧しく小さくされた者」のために奉仕するキリスト教会の在り方にも、新しい問い掛けと視点を与えてくれるといえるだろう。(続く:白波瀬達也氏インタビュー)
■ 宗教の社会貢献を問い直す:(1)(2)