はじめに
「あの日」から丸4年となる2015年3月11日。あの日、被災地では地の根幹が揺らされると同時に、それまで築き上げてきた人々の生活や、描いていた将来をも揺るがし、愛する家族や友、家や財産といったかけがえのない宝が根こそぎ奪われていった。三陸の人々は、震災から今日に至るまで痛みを抱えつつも、その地に住み続けている。岩手の教会は、震災直後から県外、国内外の教会や宣教団体、個人を通して多大な支援をいただき、今に至るまで活動を続けている。この機会に、支援を通して見てきた岩手のこれまでの変化と、これからの課題について共有させていただきたい。
4年間での変化
1. 人々の変化
家が被災した人の大半は避難所、仮設住宅での生活を経験している。仮設住宅は今も現在進行形で、復興住宅に移り住んだ人、自力再建した人は全体の10%にも満たない。また被災した家を修繕しながら住まう在宅避難者も多くいる。被災地での教会の働きは戸別訪問をし、必要に応えることから始められた。ボランティアが週替りで活動するが、あいさつは「教会から来ました」「クリスチャンです」と言うにとどめ、あとはひたすら被災者の話を伺うことに終始した。
そのうち、人々の方からお茶や食事をしていかないかと家の中へ迎えてくれるようになり、あるお宅はボランティアの宿泊場ともなっている。震災によって、三陸の人々は日常的にクリスチャンと関わる時間が増えている。またその関係も継続的なもので、今は集会、訪問、病院や買い物への付き添い、子どもの学習や受験勉強の手伝いなど、多岐にわたって密接な時間を過ごすようになっている。
2. 福音への関心、応答の変化
活動を通して、三陸の人々は「なぜ、毎回来てくれるの?」「クリスチャンって何を信じているの?」「私も教会に行ってもいいの?」と福音への関心を持つように変化してきた。この変化の現れは、聖書や文書のみの伝道ではなく、顔と顔を合わせ、共に時間を過ごすことによって寄り添い、仕える姿勢が一つの大きな要因となっている。
3. 教会自身の変化
私自身は岩手の内陸部、盛岡市で開拓教会の牧師をしているが、震災前まで同じ岩手県であっても沿岸部を訪れることは観光以外では皆無であり、まして宣教地として見ることはなかった。それが、震災以来、三陸での宣教を具体的に考え、活動し、ビジョンを抱くようになった。震災は、宣教の姿勢や視点において、教会自身に大きな変化をもたらした。また、教団・教派、国内外の枠を超えて、教会が宣教のために互いに協力する、という実際の変化をもたらした。
未解決の課題
1. 住環境、過疎地での将来図、孤独死
被災地で仮設住宅が完全になくなるのには、あと4年かかる見通しだ。復興住宅の建設が進んでいるが、その計画段階でも土地売買や道路計画など、住民の理解や一致を得るためには困難なハードルが立ちはだかっている。また、完成する復興住宅は鉄筋10階建てのマンションなど、それまで住み慣れた町の趣をなくすものともなっており、人々はそれについても寂しさを覚えている。
とかく、仮設住宅は近隣の物音や生活の様子が筒抜けで、精神的な負担も大きいと同時に、運動不足になるなど身体的な問題も数多く指摘されている。生活の基盤を失い、良い将来図を描けない人々の中には、持病のケアを怠り、アルコールやギャンブルに依存する人も少なくない。また、仮設住宅に住む高齢者の孤独死も後を絶たない。そういった人々と出会い、支え続ける息の長い働きが求められている。
2. 震災前からの課題がのしかかっている
また、被災地で人と関わることで顕著なのは、人々の抱えている問題は震災そのものがもたらしたものではなく、それ以前からの問題であるということだ。たとえば、夫婦や家族間など人間関係の問題、借金、持病、進学や職探し、将来設計に関する悩みなどである。それらに解決の光をもたらすのは、福音であり、全ての人々に神との出会いが必要である。
結び
主イエスは、ご自身のからだである教会をこの地上に立てられた。人々の問題に必要なのは福音であり、真の解決をもたらすのは地域教会である。岩手三陸は明治初期から、ニコライをはじめ、ロシア正教が着実な宣教を続け、その実を結んでいった土地でもある。また、これまで海外から来た多くの宣教師が土地を耕し、種まきをし、そして日本の教会も宣教に励んでいる地である。その三陸の宣教を、震災の経験を通して教えられた包括的な福音と教会同士の良い協力関係のもと、地道に続けていくことが大切だと考える。
(文・大塚史明=盛岡みなみ教会牧師、3・11いわて教会ネットワーク)