仙台市在住のクリスチャンシンガー・大宮香織さん。4年前の震災時も仙台市内の自宅で被災した。ピアノ講師をしている大宮さんは、あの時も自宅で小さな男の子のレッスンを終えたばかりだった。生徒を送り出して、ほっと一息ついた頃に、立っていられないほどの揺れを感じた。仙台市内でも内陸にある大宮さんの自宅は、津波の被害は免れたものの、その日から停電が続いた。徐々に日が暮れ、電気も暖房もつかない部屋の中で過ごさなければならなかった。
3月とはいえ、寒さが厳しい仙台市内は、地震の直後から吹雪になった。寒くて暗い夜、ラジオからの情報を頼りに街の様子を伺った。「とにかく不安でした。これからどうなってしまうんだろう? いったい何が起きているんだろう? 神様のご計画は何なのだろう?」と色々な思いが押し寄せた。その日の夜は余震も続き、鳴り響くサイレンの音やヘリコプターの音で眠れなかった。まだ電気も復旧しない震災当日の夜、外に出て夜空を見上げると満天の星空が広がっていた。
「天地を創造された神様を思うとき、自分はなんて小さいんだと思いました。いつもは星空を見上げることもないけど、自然の美しさをあらためて知って、神様の偉大さを知ったような気がします」と、大宮さんは当時のことをこう振り返る。
クリスチャンホームで育った大宮さんだが、当時は自分の信仰が根底から揺らいでいるのを感じた。「神様に何度、『なぜ、こんなひどいことが起こるのですか? なぜ、こんなにもたくさんの人々が愛する家族と突然の別れをしなければならないのですか?』と尋ねたか分かりません。『結局、音楽なんて何の役にも立たない』と塞ぎ込んだこともありました」と話す。
海岸沿いに住んでいた友人から「両親と連絡がつかない」と聞き、その友人を自宅に呼び、来る日も来る日も避難所を探し回った。避難所中を見て回って、いなければ次の避難所へ。3日後にやっと無事を確認した。「まるで映画の中の世界のようでした」と大宮さん。避難所で窮屈な生活をしている人々を見て、「これが現代の日本の光景なの? これが私の育った街の光景なの?」と目を疑った。
震災から3日後の日曜日、集まった人の数は少なかったが、いつものように礼拝を守った。その時、初めて涙が出た。これからどうなるのかという不安、苦しみ、悲しみ、寂しさ、いろいろなものが一気に押し寄せてきた。しかし、賛美をしていると、自然と心が癒やされた。自然と勇気が出てきた。「こんなにたくさんの大切な命が天に帰っていったのに、自分はまだ生かされている。そこに『感謝』の気持ちもありました。そういった意味の涙もあったと思います」と話す。
震災の翌月には、トルコでコンサートが予定されていた。交通機関も復旧しておらず、精神的にも「今を生きる」ことで精一杯だった。コンサートをキャンセルさせてもらいたいと思った矢先、「急きょ、トルコでのコンサートをチャリティコンサートにするから、ぜひ来てほしい」という話になった。「それならば・・・」となんとか交通手段を確保して、トルコでのコンサートを行った。コンサートは大成功だった。「音楽が役に立った。これからも続けていこう」と思った瞬間だった。
5月には教会の仲間と共に初めて避難所でコンサートを行った。避難所の様子を伝えるテレビ番組の中で、「音楽が聞きたい」という被災者の声をたまたま聞いたことがきっかけだった。「いつくしみ深き」や「Amazing Grace」など、クリスチャンでなくても聞いたことがあるような賛美歌や一般の曲を数曲歌った。しかし、避難所への訪問には葛藤もあった。被災者が生活の場としている体育館の中で、彼らの日常が流れている場で歌うのは、「どこか誰かの生活の中にズカズカと土足で入っていっているような気がしました」と悩んだ時もあったという。
あれから丸4年がたとうとしているが、今でも大宮さんは仮設住宅でのコンサート活動を続けている。「大切な家族を失った人々の心の傷は、まだまだ癒えていないと思います。コンサートなどを行って、その場に顔を出してくれて、一時でも安らいでくれれば嬉しい。しかし、もっと深刻なのは、そういった場に出てくることさえもできなくて、引きこもっている人々。その方々が心配です」と話す。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩編119:71)
この御言葉を胸に、これからも主にある音楽の力を信じて、進んでいく大宮香織さん。仙台の地に彼女が生かされている意味は大きい。