19 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
20 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
21 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
22 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
ここで感謝が表明されているのは評価します。しかし、これで中国、米英蘭豪との関係は順風満帆であると誤解するのはとんでもないことです。中国のみならず、アジアの諸国に何百万、何千万人という人たちが日本に対して深い嫌悪感あるいは怒りを抱き続けています。アジア、特に東南アジアには親日的になった国が多い、というのは非常に表面的な観察によることは、私個人が過去12年にわたるアジア訪問で肌で感じました(拙著『私のヴィア・ドロローサ:「大東亜戦争」の爪痕をアジアに訪ねて』2015年、44、61、142、178ページ参照)。
公に日本に盾突くと不利になる、というような思惑も働いています。また、米英蘭豪の退役軍人で日本に対して好意的というのはほんの一握りに過ぎない、ということを忘れて、もうこれらの国とは和解が成立しているなどと思うことはとんでもない夢想です。平成天皇がロンドンを訪問されたとき、泰緬鉄道の犠牲者たちが陛下の乗られた車の通る道に並んで陛下の方に尻を向けていたのが報道されたのは、私たちの記憶にまだ新しいはずです。
23 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
15「イ」で述べた通り、日本は「国」としてはまだしかるべき謝罪もしておらず、被害国から受け入れられる謝罪もできていない以上、謝罪は被害国から「もういいです」と言われる時まで続ける責任があります。大東亜戦争とそれによってもたらされた被害、日本国民と外国人に対して不当に加えられた被害に対する最高の責任者は昭和天皇でした。その昭和天皇は一度も謝罪されず、責任を問われませんでした。平成天皇が「大戦に対する反省」を過日の戦没者追悼式典で語られたことが注目されましたが、昭和天皇の後継者としては「反省」では不十分です。「戦後生まれの若い世代に、戦争中に起きたことに責任はない。しかし、それが今後の歴史にどのように変換されていくかには責任がある。過去に目を閉ざす者は、現在に対して盲目になる。非人道的歴史を記憶にとどめることを拒絶する者は、似たような病にまたもや感染する危険に曝(さら)されている」(西ドイツ大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー、1985年5月8日)、「われわれは過去に終止符を打つことは許されない」(ドイツ首相アンゲラ・メルケル、2015年)というようなドイツの指導者たちの発言とは雲泥の差があります。
ここでもまた悪質な情報操作が行われています。平成天皇の使われた「反省」という単語が在日外国人報道関係者に配布された英訳では“remorse”となっています。この英語は「悔悟」というような厳しい、倫理的、道徳的内容を持っていて、その点ではどっち付かずの日本語の「反省」とは根本的に相違します。甲子園の決勝戦まで行ったチームが敗れて、監督がチーム全員を召集して「反省会」をやります。「反省」の英訳は“reflection”でしょう。
われわれがしていないのは謝罪だけではありません。つまり、道義的な負債の決済、精算だけではありません。物的、金銭的、財政的負債も精算しなければなりません。例えば、香港を占領した日本軍は、香港市民全員に香港ドルを日本政府発行の円に強制的に兌換(だかん)させました。どの紙幣の裏面にも、しかるべき時に、貨幣価値の変動を考慮した上で香港ドルとして返還すると印刷してあります。しかし、敗戦とともに、日本政府はこの円紙幣は無価値である、と宣言し、返済義務を怠り今日に至っています。当時の額面でその軍票は総額19億円に達しただろうといわれています。また、インドネシアでは「兵補」という名前で、現地の青年たちを軍人として訓練し、戦場では日本兵と同じ任務に就かせました。その給料の3分の2は今なお未払いになっています。その他の破壊行為は列挙にいとまがありません。日本はすぐサンフランシスコ平和条約で賠償の義務から免除された、と法律議論を持ち出します。しかし、その条約には現時点では日本にその負担を担うだけの経済力がないから、という付帯条項が付いています。世界第二の経済大国になったことを誇る国ならば、いつまでもそういう形式論で逃げられるとは思いません。
24 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
朝鮮特需、ベトナム特需でしこたま儲けなかったら、戦後の経済復興ももっと時間がかかったかもしれません。つまり、あの「奇跡的な」復興はかつてのわが軍国主義、植民地支配の犠牲者たちの苦難の上に乗っかっていることを忘れてはなりません。
25 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
この表現は、この談話の中で何度となく繰り返されます(26、27、28、29)。深く考えて、心に刻むことはもちろん大事です。しかし、こういった自分たちが過去に犯した過ち、犯罪行為、他者に対して不当に与えた危害、損害は目に見える形でも記録すべきです。心に刻んだものは、その人が死ねばそれで死滅します。文書の形で記録する、例えば、政府が被害国と共同で調査、研究して報告書を出す、学校の教科書にはっきり書く、あるいは犠牲者を悼む記念碑を建てる、などいろいろ考えられます。現行の中高の歴史教科書で、満州事変以後の日本軍の海外での作戦は全て「進出」と表現されており、慰安婦問題はほとんど姿を消しています。
26 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである(イ)。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります(ロ)。
イ 戦争法案は即時廃案とし、自民党は改正憲法案を直ちに反故とすべきでしょう。
ロ 自衛隊に米軍の核兵器輸送を手伝わせようというような迷案は即刻くずかご行きです。
27 私たちは、二十世紀において、戦時下(イ)、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい(ロ)。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
イ 英語版では“wars”と複数で、冠詞なしです。情報操作をしようとしている者は、ここではとんでもない失策をやらかしました。外向けには”the war”と単数にすべきでした。この文書で、大東亜戦争が意味されている時はそうなっています。それが正しい英文法です。複数形を使うことによって安倍首相とその内閣は、「他の国だって似たようなことやったじゃないか。なんで日本だけやり玉に挙げるんだ?」と開き直っていることになってしまいました。
ロ 2003年2月就任以来、慰安婦問題に日本の真剣な注意を促し続けてきた韓国大統領には、この文言は一笑に付するでしょう。また、今なお存命の韓国の老女たちは激怒されたことでしょう。私たちは、ここでおおいに反省して今後は態度を改めます、という決意の表現というのは皮肉に過ぎるでしょうか? でも、お詫びの言葉は一つもここにはありません。ここで慰安婦問題がにおわせられているのは一目瞭然ですが、なぜ「慰安婦問題」とはっきり言わないのでしょうか?
28 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
アベノミクスの適用の一例でしょうか? 貧相な世界観、人間観と言わざるを得ません。貧しくとも平和に生きることはできます。貧しくとも平和に生きている人はいくらでもいます。経済大国同士の戦争は過去になかったのでしょうか? 暴力の有無も貧富と必然的な関係はありません。
29 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
30 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三
<全体的コメント>
声明自体が整合性を欠き、矛盾している箇所があるのみならず、首相自身、また現政権が過去数年に取ってきた政策、なされた発言と矛盾するところがあまりにも多過ぎます。大事な例を一つだけ挙げます。「先の大戦への深い悔悟の念」(14)を口にする者は、その戦争の企画、遂行の故に戦犯として有罪判決を下された者が合祀(ごうし)されている靖国神社に出掛けたり、自分の閣僚や、自分の党の議員が同じことを繰り返したりするのを黙許することは許されないはずです。論理的問題のみならず、誠意が伝わってこない、というのは致命的です。路線修正の必要を現政権が意識しているとは読み取れず、これが今後の現政権の方向であるとすれば、海外での信用のがた落ちは確実であり、日本の破滅が危惧されます。
村岡崇光
2015年8月17日
■ 安倍首相の「敗戦70年談話」を受けて:(1)(2)(3)
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村岡崇光(むらおか・たかみつ)
1938年広島市生まれ。70年ヘブライ大学(イスラエル)で博士号取得。マンチェスター大学(英国、70〜80年)、メルボルン大学(オーストラリア、80〜91年)、ライデン大学(オランダ、91〜2003年)で教鞭をとった世界的なセム語学者。現在、ライデン大学名誉教授。1975年都留・スミス賞受賞。2001、02年フンボルト財団研究賞受賞、14年聖書事業功労者賞受賞、エルサレムのヘブライ語アカデミー名誉会員。聖書ヘブライ語、現代ヘブライ語、シリア語、アラム語、エチオピア語、ウガリト語などに関する著書論文多数(多くが英語)。『私のヴィア・ドロローサ:「大東亜戦争」の爪痕をアジアに訪ねて』(教文館、2014年)は、まれな日本語による著作の一つ。