今年の6月22日から25日、私たちは、「沖縄平和巡礼の旅」を行うことができた。毎年続けてきているこの巡礼の旅ではあるが、今年は戦後70年という節目の年でもあり、16名の参加者と共に、沖縄南部戦跡、糸洲第二外科壕跡、普天間基地、佐喜眞(さきま)美術館、そして伊江島の「わびあいの里」などを回ることができた。
また、特に22日には、私たちアシュラムセンターや神戸のイエス団などが主催者となり、「沢知恵 平和をつくり出すコンサート」を、沖縄キリスト教学院大学チャペルで開催することができた。沢さんの新しいアルバム『われ問う』を中心に、ともすると目の前にある現実に、平和への思いが萎(な)えていってしまう私たちに、大きな勇気と希望、力を与えてくれる、そんなコンサートだった。
「ここまでなら大丈夫と だまって見ているうちに 気づいたら 何ひとつ自由に ものを言えなくなっていた(中略)いまどうしてだまっているの? いま何を迷っているの? だれと生きてゆきたいの?」(「われ問う」より)
彼女の静かな語るような歌声が、賛美歌「勝利をのぞみ」に重なり響き、私たちの胸に迫ってきた。
最後の日の晩、私たち本土からの参加者16名と沖縄のアシュラムの友、全部で42名で「沖縄聖書教室」を持ち、賛美と礼拝、そして交わりの時を過ごした。その中で、伊江島の平和運動家・阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんが、70年前の4月23日(この前日に1500名に余る人々が犠牲となった伊江島での戦闘が終結する)に聖書の余白に書き残したメモ書きを紹介した。そこには、スパイの嫌疑をかけられ、一人避難生活を続ける様子や、離れ離れになった家族や飼っていた家畜までも心配し、人間の起こした戦争に対し、生きとし生ける命を愛(いと)おしむ阿波根さんの素直な心が現れている。
「ぬちどぅたから(命こそ宝)」。それは、70年の時を越えて、今もなお戦争が終わっていない沖縄からの叫びなのだ。戦後70年は、決して戦争が終わって後の「戦後」という意味ではないだろう。沖縄の道路を我が物顔で走る米軍車両の列、上空を飛び交う戦闘機やヘリ、延々と続く米軍基地のフェンス、そして新たな基地のために平然と美しい海を埋めつくそうとする。ここ沖縄に一度でも身を置けば、戦争は終わってなどいない、70年前のあの日からずっと今も続いていると暗澹(あんたん)たる気持ちに落ち込む。
けれども、そんな沖縄だからこそ、あらゆる命を踏みにじる戦争を憎み、それに抗(あらが)い、そして本当の平和をつくり出そうとするのだ。あらゆる命が大事にされ、愛おしまれる世界を。それはまさに、私たちの主が、幸いな者、神の子と呼ばれる者、平和をつくり出す人々の姿なのだ。
沖縄の戦後70年は、必ず平和の世が来ると信じ、戦争の後始末をし続けてきた戦後なのだ。私たちもまた、平和をつくり出す者として、神の子と呼ばれる者として、戦争の後始末を71年、72年・・・と続けていく者となりたい。
榎本恵(えのもと・めぐみ):1961年、榎本保郎牧師の長男として京都に生まれる。同志社大学神学部卒業。86年、沖縄県伊江村に移住。2002年、日本基督教団よきサマリヤ人伝道所担任教師。07年、アシュラムセンター(滋賀県近江八幡市)3代目主幹牧師に就任。著書に『負けて勝つとは』『私は耕す人になりたい』、共著に『ちいろばの心』『ちいろば牧師榎本保郎を語る』。