アシュラムセンターの榎本恵主幹牧師の案内で6月22日~25日、戦後70年の沖縄巡礼の旅に16人で参加した。
沖縄「慰霊の日」(6月23日)の前日22日は、沖縄戦の南部戦線となった、ひめゆりの塔近くの陸軍第二外科病棟跡地に積もった落ち葉や枯れ木を集めて掃除し、「ぬちとうたから(命こそ宝)」と書かれた慰霊碑をきれいに水洗い。地元の人たちと巡礼の旅の参加者全員で「いつくしみ深き」を賛美し、フランシスコの平和の祈りを唱和して慰霊祭を持った。この地を訪れる人は多くないが、沖縄戦では地下壕(ガマ)で犠牲者を出した場所で、一年に一度、慰霊の礼拝を続けている。
夜には、沖縄キリスト教学院大学チャペルで行われたクリスチャン歌手・沢知恵さんの「平和をつくり出すコンサート」に参加した。沢さんは、「アメイジング・グレイス」や「死んだ男の残したものは」「さとうきび畑」などと共に、7月8日発売のCD『われ問う』に収録されている新曲を、「大好きなおじいさん どうしてこの国は戦争したの?・・・どうすれば同じあやまちを くり返さなくてすむの」と絶唱した。ちょうど50年前の日韓国交正常化で父が韓国に留学し、そこで出会った韓国人の母と間に生まれた沢さんはこの日、自身の生い立ちも証しし、戦後70年の今年、両国の平和をつくり出す願いを込めて賛美し、130人ほどの聴衆はその熱い思いに心を打たれた。
慰霊の日の23日には、辺野古基地の反対運動をしている方々にあいさつをして、沖縄本島北部の本部港からエメラルドグリーンの海をフェリーで伊江島に渡った。そして、日本のガンジーといわれ、沖縄基地をめぐる戦いの象徴的な存在であったクリスチャンの阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう、1901~2002)さんが建てた「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」(反戦平和資料館)を訪ねた。19歳の一人息子が戦死し、「国ぬたみともて咲ちゃる花ちらち あとみうしなたる親のくりさ(国のためと思って咲いた花が散ってしまった 跡継ぎを失った親の苦しさ)」と歌った阿波根さんの深い哀しさを思わされ、しばらく黙想の時を持った。
その後、1944年に米ピュリツアー賞を受賞し、伊江島上陸作戦の2日後(45年4月18日)に死んだ米国人従軍記者アーニー・パイルの記念碑を訪ねた。毎年、4月18日には米国の方々が来られ慰霊祭を行うという。さらに、米軍の投降勧告にもかかわらず、日本の防衛隊の持ち込んだ地雷3個で約150人が集団自決した壕(ごう)である「アハシャガマ」を訪ねた。そして、伊江島の戦いが終結した4月21日に毎年、平和祈願祭が行われる、芳魂之塔の前で慰霊の礼拝をささげた。ここには、沖縄戦で戦没した伊江島の住民約1500人、日本兵約2000人の出身地と名前が刻印された石碑が置かれていた。この日は夕方に伊江島に別れを告げ、沖縄本島へ戻った。
24日は、本島南部の南風原(はえばる)町にあるサマリヤ人病院精神科デイケアの12人の詩の朗読会に参加した。榎本牧師が3年間この病院でチャプレンをしていたとき、詩の創作を提案して始まったという。詩の朗読会を続けているうちに新聞やテレビで紹介され、2006年には詩集『私に似た花 それはきっと いい花だろう』も作られた。
「イエス様じゃないか 俺を背負ってくれていたのは」
「後ろを振り向かないで 前向きに生きる」
「この丘には いつも身をゆだねられる 心の風がふいている」
そう詩を読み上げ、心の病から少しずつ立ち直り、社会復帰を目指し、とても明るく生活しているデイケアの方々の姿に驚かされた。
午後は、本島中央部の宜野湾市、米軍の新型輸送機「オスプレイ」が見える普天間基地を遠望する展望台を訪ねた。ちょうど、小学生の団体ツアーと一緒になり、車で帰るときには上空をオスプレイが飛んで行き、基地の町の現実を思い知らされた。その基地にくさびのように食い込んでいる「アートで平和をつくる」をうたう佐喜眞(さきま)美術館を訪ねた。館長の佐喜眞道夫さんのコレクションである、画家の丸木位里(いき)・俊(とし)夫妻の「沖縄戦の図」や、上野誠の「戦争はもういやです」、ジョルジュ・ルオーの「十字架上のキリスト」などを鑑賞し、アートで平和をつくる本意をかみしめた。
夜は豊見城(とみぐすく)市の沖縄聖書教室に参加。榎本牧師が、詩編37篇37節「無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある」(新共同訳聖書)、「全き人(イエス・キリスト)に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる」(新改訳聖書)から、印象的なメッセージを伝え、参加した42人の方々と食事を共にし交流会を持った。42人一人一人が、自分の名前や出身地、好きな食べ物などを1分間で紹介し合い、会場は大変な盛り上がりを見せた。こうして、「キリストの平和」「命こそ宝」を深く思わされる沖縄巡礼の旅となった。
琉球新報は、24日朝刊1面で、慰霊の日について「戦後70年 平和への誓い」「新基地中止の決断を」の大見出しを掲げていた。そして名物コラム「金口木舌(きんこうもくぜつ)」では、「大学生のころ、伊江島で阿波根昌鴻さんにお会いした。聖書を引用し、土地接収を迫る米兵に抗議したという話が忘れ難い。強権に抵抗するため、神の言葉が持つ力を借りた。戦う民衆の知恵である」と初めに紹介し、「今かみしめるべきは、沖縄が『人間の住んでいる島』という事実だ」と訴えていた。
なお、アシュラム(ASHRAM)とは、「退修」を意味するインドの言葉で、米国のメソジスト派宣教師であるスタンリー・ジョーンズ博士が始めた、もっぱら祈りの生活をもって自らを整えるという運動。日本では、三浦綾子が週刊朝日で連載した「ちいろば先生物語」で知られる、ちいろば先生こと榎本保郎牧師が中心になって始められた。榎本恵牧師は、保郎牧師の長男でアシュラム・センターの三代目主幹牧師である。また、日本では、ジョーンズ博士の働きを直接受け継いで活動しているアシュラム運動として、日本クリスチャンアシュラム連盟もある。