横浜、湘南、平塚の神奈川県内の3つの地域のYWCAが主催する「沖縄デー」が6日、横浜YWCA(横浜市)で開催された。3団体が毎年開催しているもので、今年は、沖縄の米軍普天間基地(宜野湾市)の辺野古(名護市)への移設問題について、昨年から海上での抗議行動に参加している吉田慈(しげる)牧師(日本基督教団林間つきみ野教会)が講演を行った。4月末、抗議中に海上保安庁により船を転覆させられ、救急搬送されたという吉田牧師は、「人の命を何とも思わないこの現状こそが既に戦いの始まり」と言い、移設反対を訴えた。
神奈川県大和市にある林間つきみ野教会は、厚木基地の近くにあり、毎日のように米軍機が上空を飛んでいくという。吉田牧師は冒頭、事故が多いといわれているオスプレイが横田基地(東京都)に配備されることが最近決定したことにも触れ、「基地問題は、沖縄だけではなく、われわれの住む神奈川県でも大きな問題。ぜひ、皆さんに関心を持って、沖縄の海の悲痛な叫びに耳を傾けていただきたい」と話した。
吉田牧師は、日本基督教団神奈川地区社会委員会に所属し、基地・自衛隊問題小委員会の委員としても活動している。これまでは沖縄の問題に胸を痛めてはいたものの、抗議行動に参加するまでには至っていなかった。先輩牧師に「一度、沖縄に行って、基地の移設問題について勉強してくるといい」と促され、昨年、初めて沖縄の地を踏んだ。
初めて見る沖縄の美しい海、そこに激しく響く抗議船からの叫び声。それを取り巻く海上保安庁の巡視船。異様な光景に「一体これは何なんだろう? いつまで沖縄の人々は苦しみ続ければよいのだろうか?」と強く感じ、「自分も何かできることを」と、船舶の免許を取得し、現在では月に一度、辺野古を訪れ、抗議行動に参加している。
本紙のインタビューに吉田牧師は、「抗議行動というと、嫌悪感を示すクリスチャンの方もいらっしゃるかもしれません。私は、専門家でもなければ、ウチナンチュ(沖縄が地元の人)でもない。実際、私の周りでも、全員が私の意見、行動に賛成しているわけではありません。しかし、イエス様を見てください。イエス様は、いつも迫害されている者と共にいました。常に弱い者の味方をしてくださいました。私はそういう人になりたい。牧師というより、神様に愛されている一人として、恥じない行動をしたいのです」と答えた。
1952年4月28日、終戦から約7年がたったこの日、日本と米国などの連合国諸国との間で結ばれたサンフランシスコ講和条約が発効。日本の主権は回復したが、この条約によって、米軍が占領していた沖縄は本土から切り離される形となった。沖縄では、この日を「屈辱の日」としている。
今年、この「屈辱の日」に海上で抗議行動を行っていた吉田牧師と抗議団体が乗る船が、海上保安庁の激しい「警備」によって、転覆した。「吉田!」とどう喝しながら、船に乗り込んできた保安官は、吉田牧師の首の辺りを複数回にわたり圧迫。沈んだ船からようやく脱出したところを取り押さえられ、巡視船に引き上げられた。しかしその後、呼吸困難となり、救急搬送。命に別状はなかったものの、その時の恐怖は今もはっきりと覚えているという。
「人をどう喝すること、けがをさせてまで指示に従わせることが『警備』ですか? 人の命を何とも思わないこの現状こそが既に戦いの始まり。このような体験は私だけではありません。海上に出ている多くの方々が経験しています。私は、1カ月に1度、現場に向かって抗議行動をしているだけ。しかし、ウチナンチュの皆さんは、毎日が戦いの中にある。戦いながらも、生活をしていかなければならないので、仕事をしながら、『沖縄の海を壊さないでくれ!』と命懸けで訴えているのです」と、吉田牧師は話した。
「沖縄は、戦争中には本土決戦の場となり、米軍に占領された後は日本政府に見放され、本土復帰を果たした後もなお基地問題に苦しめられている。いつになったら、沖縄の人たちは日本の国民として、安心して暮らすことができるのでしょうか。福島の原発に関しても性質の差こそあれ、同様。日本はいつになったら、原発と基地問題から解放されるのでしょうか。戦後70年たっても戦争の傷痕に苦しんでいる人たちがいるということを、われわれは忘れてはならない」と、吉田牧師は訴えた。
この日は、主催した3つのYWCAのメンバーや一般の参加者ら約30人が参加。参加したクリスチャンの女性は、「吉田牧師のようなキリスト者が沖縄問題について動いていることは、非常に誇らしい。私たちも自分たちにできることを考え、行動していきたいと思う」と語った。