沖縄県名護市にある国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」内に、ハンセン病による差別の歴史を伝える資料館「交流会館」がオープンし、今月から一般公開が始まった。新たな施設としてこうした資料館を構えるのは、全国に13ある国立ハンセン病療養所では初めて。
沖縄愛楽園は、キリスト教伝道者の故青木恵哉(けいさい)が、病者安住の地として土地を購入し、1938年に建てた沖縄県立国頭(くにがみ)愛楽園を前身とする。その敷地内に建てられた交流会館は、2009年に名護市が打ち出した「沖縄愛楽園将来構想」の一つとして設立された。2階建ての同館は、1階に160人収容のホールと常設展示場、2階に企画室とハンセン病に関する書籍や資料を収めた収蔵室がある。
1階の展示場には、写真や証言集のほか、当時の施設のレプリカや患者の補助器具など、およそ300点が展示されている。証言集は、「奪われた命」など、それぞれテーマを設けてブースごとに展示され、強制隔離政策で受けたハンセン病患者の苦しい胸の内が明かされている。また、沖縄戦後の自給自足の日常を「患者らの作業」としてまとめたコーナーもあり、火葬や養豚作業に携わる様子が紹介されている。2階の企画室では、押し花や折り紙など、現在の入所者が手掛けた作品を見ることができる。
沖縄愛楽園自治会によると、今月1日の開館以来、修学旅行の中学生をはじめ、既に多くの人たちが見学に訪れているという。14日には、開館記念のシンポジウムが開かれ、東京学芸大学教授の君塚仁彦氏が「ハンセン病歴史資料館の可能性」と題して基調講演し、「ハンセン病歴史資料館をひらく―平和と共生のために」と題したパネルディスカッションが行われた。当日は、160人収容のホールは満席となり、ホール外にも席を設けるなど、予想を上回る人が集まったという。
日本では2008年にハンセン病問題基本法が成立したが、「患者が隠れて生活をしていたり、堂々と自分の病気について話せなかったりする状況を見れば、ハンセン病に対する差別と偏見の『壁』は今なお厚いといえるのではないか」と、同自治会会長の金城雅春氏は話す。さらに、「こういったことを考えれば、ハンセン病に対する啓発がまだまだ必要だ」と、同館の役割の大きさを語った。
1893年生まれの青木恵哉は、16歳でハンセン病を発症し、入所した香川県の大島療養所(現・大島青松園)でキリスト教に入信した。34歳のとき、病者伝道のために沖縄に派遣され、そこでの伝道を通して、病者のための安住の地が必要だという思いに至ったという。1938年に沖縄愛楽園の前身である国頭愛楽園を誕生させ、69年に75歳でこの地で没した。