沖縄における日本人、沖縄に在住している日本人の在り方~日本の罪責の立場から~
沖縄と日本の関係について考えるとき、植民地と被植民地との関連で考えなければならない。日本人である自分を中立的な立場に置いても、沖縄では成り立たない。私は沖縄に来て5年になるが、最初は沖縄を見つめていた。基地反対運動に参加していても、学んで勉強するという立場を取っていた。そして、沖縄の民衆運動は日本の中での存在価値が高いと考え、沖縄の民衆運動から日本全体の民衆運動に広がって行くように、と願っていた。今もその思いは変わらないが、それだけでは足りないと考えている。「沖縄に赴任して沖縄で考える」の中で、「彼らが忍耐強く続けられるように支えることではないかと思う」と書いて、自分を客観的な位置に置いていたが、それだけでは不十分だと思うようになった。また、沖縄の人たちの中に入って沖縄の人と共に基地反対闘争をしていても、それだけでは十分ではないと考えてきた。
それは、植民地の加害者としての立場に自分がいるということ、その中にあって私が沖縄に存在しているという、このことをしっかりと考えて行かなければならない。これが私自身の課題となってきたのである。
日本キリスト教会が沖縄伝道に目覚めた背後に靖国問題があった。キリスト告白による国家権力からの独立だとする闘いであることを自覚したことから、沖縄伝道が始まったと理解している。「沖縄県の同胞に対する負い目を果たすために、沖縄開拓伝道を開始」したとあるが、その「負い目」とは、とくに沖縄戦におけるキリストの体なる教会の兄弟姉妹に対する神と隣人への罪責と、日本キリスト教会員としての自己批判と国家の一人としての自己批判が込められており、その罪責を担う伝道を行うことを課題とした。「沖縄伝道は、教勢伸展の有望な市場開拓ではなく、出血してこそ沖縄伝道の意味がある」として始めたのである。
それゆえ沖縄伝道は、沖縄の痛みを教会の痛みとして行くことにあると考える。そのためには沖縄を知るということだ。知っているつもりでいても、知らないことのほうがはるかに多い。それだけではない。私たち日本人には、沖縄を踏みにじった側の者であるという自覚が欠けている。少しはあると思ってはいても、本当は全く足りない。沖縄に痛みを与えた側の者として、沖縄人以上に沖縄の痛みを感じ取らなければならない。沖縄の人々の叫びを聞いて、私たちはそれ以上の痛みを自ら持たなければならないという立場にあることが、最近見え始めてきた。
しかし現実はそうではない。彼らの痛みに少しも近づいていない自分、沖縄の人々の叫びを他人事のようにして見る自分がある。そうならば、この自分が差別者側にいるという深い罪にからめとられていると思わなければならない。
ここに私自身、訓練して行くべき課題がある。沖縄の人々の痛み以上に日本人である者の罪を深く覚えるということ。これは私の一生の宿題である。そしてこれは日本人全ての責任である。日本人はこのことを、これまで真剣に考えて来たであろうか。少なくとも私自身、真正面に向き合って来なかったし、ほとんど多くの日本人も、これまで考えなさ過ぎて来たのではないかと思う。
基地反対闘争に参加し共闘している中で、沖縄の人たちの心の中に入ったと、簡単に思ってはならない。そうしている中で、自分の責任を果たしたかのような日本人の免罪符となってはならない。いつも思い起こさねばならないことは、沖縄に痛みを与えた日本人の罪としての自己検討ではないか。この日本人の責任を回避して、どうして沖縄の人々と基地反対の連帯闘争をすることができるのか。沖縄靖国合祀取り消し訴訟問題と取り組む中でも、痛みを与えた日本人の罪を自分の意識の根底で覚えながら、沖縄の人々と共に反対闘争をする。これは在沖日本人の生涯の取り組むべき大切な点である。それは教会の課題である。教会の使命・ミッションである。キリスト教会の務めである。
そのためには、沖縄の歴史を学ぶべきであり、薩摩侵略・琉球処分・明治の植民地政策・沖縄戦・戦後と日本復帰と今日の問題をしっかりと知ることである。さらに、沖縄戦を経験した人々の声、現在の沖縄の人々の声を聞くことだと考える。そして沖縄だけでなく、今も八紘一宇の思想の下でアジアや日本の民衆を支配し続けてきている日本の国家権力の剥奪の歴史を知って、それに批判しないで同調している醜い私たち日本人の己の姿を知ることである。
■ 沖縄における植民者としての日本人と私:(1)(2)(3)(4)(5)
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川越弘(かわごし・ひろし)
1945年石川県生まれ。日本キリスト教会沖縄伝道所牧師。日本キリスト教会靖国神社問題特別委員。