沖縄宣教研究所は6月29日、2014年度総会を沖縄キリスト教学院・シャローム会館で開催し、13年度の活動報告、決算報告や新年度の活動計画、予算案を承認した。
同研究所は2000年3月、歴史的、政治的、社会的に多くの課題を抱える沖縄で宣教を担うキリスト者が、教派の違いを超えて集まり、これからの沖縄宣教のあり方を研究する場として結成された。研究機関として「基地・平和」「沖縄の宗教・習俗」「宗教と医療」「天皇制問題」など8つの部門を設け、それぞれが各分野での研鑽と学びを深めている。
冒頭の礼拝説教で基地・平和部門委員長の村椿嘉信氏(日本基督教団石川教会牧師)は、エレミヤ書8章4~13節を引用して「エレミヤの時代と現代の日本が似ていると感じざるを得ない」と述べ、「真実を見極める」という同研究所の持つ役割の重要性を強調した。
村椿氏は、当時のイスラエルの民が神に背いた結果、利をむさぼったように、「(原発に対する)不安はあっても、それをなんとかごまかし、今まで通りの経済的豊かさの中で生きていきたいと、多くの人が願っている」と指摘し、「(東日本大震災の後)私たちの歩みを反省し、何が大切なものなのか、何がもっとも優先すべきものなのかということを考えなければならなかったはずなのに、それを考えないで無視し、今まで通りの誤った道を歩み続けようとしている」と述べた。
また、「利をむさぼるという生き方をしている限り、神から離れてしまうのはやむを得ない」と語り、「相手よりも強くなりたいと願う結果、人間は暴力を用い、国家間では戦争という手段を用いようとする。人間が何世紀も繰り返したことではないか」と強調した。さらに、「このまま経済優先、軍事大国への流れの中に身を任せ、何も感じることなく、それでいいと言ってしまうなら、かつての沖縄戦と同じような被害、それ以上に深刻な事態が、私たちの生活の中で再現されることになる」と話した。
キリスト教の歴史観について村椿氏は、「自分を憂いて立ち上がれなくなるのではなく、むしろ信仰によって希望を抱く、信仰による自虐史観だと言える」と語り、「(過去の過ちを)悔いることは当然である。むしろ、悔いて反省しない人間こそが、失敗を繰り返す」と、近年高まる歴史修正主義の動きを批判した。
饒平名長秀(よへな・ちょうしゅう)所長(神愛バプテスト教会牧師)は、同研究所の今年度の活動テーマ「沖縄の教会とは」を解題した。
饒平名氏は、「沖縄の『現実』に立脚し」という、規約で定めた同研究所の目的にある文言について、「これがなければ存立の意味はない」と述べ、「沖縄の現場を離れるならば、ここでの研究や学びの意味はなくなる」と現場主義の重要性を強調した。
その上で、「沖縄の現実を見ると、沖縄は日米の軍事植民地であると定義しても間違いではない」と語り、「戦後70年間、どうしてこういう状況が続いているか、その根本には差別がある」と指摘した。水俣病や東京電力福島第一原子力発電所の問題を類似した事例として挙げ、「(沖縄への差別は)個人レベルでは回復されてきてはいるが、構造的にはむしろ強まっている」「基地は70年続いている最大の公害」と語った。
沖縄の宣教については、「沖縄を一つの民族的な単位として捉え、どういうところかをしっかりと学び、認識し、その上で展開しなければならない」と話した。さらに、「沖縄には沖縄の神学が出てきていい」と語り、「沖縄宣教研究所にとっての重要な課題。聖書に従った、新しい社会のモデルを沖縄から構築していきたい」と述べた。
活動計画では、今年度のテーマに沿った講演会もしくは勉強会の11月の開催、それに続く2015年2月24~26日の富坂キリスト教センター(東京都)との共同研修会の開催を承認した。