7日に世界教会協議会(WCC)中央委員会が発表した「核のない世界に向けた声明」全文の本紙による日本語訳(非公式)は下記の通り。
核のない世界に向けた声明
2014年7月7日
世界教会協議会の第10回総会は、核の爆発や事故そして脅威が重大な犠牲をもたらした地域で開かれた。北東アジアは核兵器が戦闘で使われたことがある、地球上で唯一の場所である。冷戦の間、1000発を超える核爆弾の実験が、隣り合った太平洋とアジアで行われた。今日、この地域にある全ての国家は、核兵器を保有しているか、または米国の核軍備に依存している。東アジアにある100以上の原子力発電所や計画中のそれ以上の多くのものは、経済的な能力の印であるだけでなく、福島の悲劇を思い起こさせるものでもある。韓国は原子力発電所の地理的分布の密度が世界で最も高い。
原子力発電所の近くや対立する核戦力の標的地帯に住んで、北東アジアで意識と勇気のある人々は、自らの社会の軍事と経済の道に重大な疑問を提起している。釜山総会の前と後に、日本と韓国、米国そしてヨーロッパでのエキュメニカルおよび諸宗教間の会議は、さまざまな形で持続可能な開発に向けた一歩としてこの地域にある原子力の代替と、そして平和に向けた一歩として核兵器を撤廃することを求めた。(※1)
核兵器は実に真の平和と調和できない。それらは爆発や熱そして放射能で言語に絶する苦しみを与える。それらは空間や時間でくくることができない破壊をもたらす。それらの力は無差別であり、そしてそれらの影響は他のどんな手段によっても釣り合うことはありえない。核兵器が存在する以上は、それらは人類に対して脅威を及ぼす。
都市は核兵器の主な標的である。100発の小型の広島型の大きさの爆弾で都市を攻撃すれば、約2000万人を殺すことになり、長い年月の間にその2倍から3倍の数の死者を出すことになる。焼けて灰になった都市から出るすすは大気圏の上層部へと高く打ち上げられ、地球の気候をかく乱させる。十年間、気温が低くなって成長の季節が短くなると、20億人が飢餓の危険にさらされる。(※2)
このような数値を前にして、124カ国の政府が2013年に「核兵器が再び、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっている」と宣言した。(※3)しかしながら、核戦略は、それらの兵器を使用するという明白な約束を要求するものであり、そして核の歴史は事故や誤算、そして災害に近いものに満ちている。(※4)さらに言うと、一度の核爆発でさえも、世界のどの国の緊急支援を圧倒するだろう。(※5)核兵器が二度と使われないことを確実にする唯一の方法は、それらの兵器自体を撤廃することである。
核エネルギーの関連技術は、異常なほど危険な形の開発である。2011年の福島第一原発の災害は、それが人々や地域共同体の生活、そして自然生態系に及ぼす脅威を改めて示した。この災害によって住処(すみか)を追われた何万人もの人々が、決して故郷に帰れないのである。彼らの農場・村や都市は空っぽのまま汚染されているのである。この災害による公衆衛生と環境への影響の全体は計り知れない。完全な除染は不可能である。
福島の被災者たちは今やヒバクシャと呼ばれている。これは被害や世間の烙印、そして不自然な運命を含意する用語である。この用語は最初、日本における原爆投下の攻撃を受けた人々を表すために使われた。
2015年はそれらの爆撃の70周年である。1945年のヒバクシャは今もなお、自らの運命を被る人が決して一人も他に出ることがないようにという希望のうちに証を立てている。彼らには今や、原子力を非難する2011年のヒバクシャが加わっているのである。クリスチャンや教会が彼らに耳を傾けて、彼らの証を自らのものとすることは、正しいことである。
健康面、人道的および環境に関する諸問題
軍事や民間における核技術の利用は、両方とも自然界に存在しない、世界で最悪の環境汚染の形の一つである、大量の有毒物質を生み出す。その副産物のうちのいくつかは、生き物に何百万年も脅威をもたらす。(※6)長期間にわたる核廃棄物の貯蔵ないし処分のために分かっている選択肢では、それに内在する危険がもつ時間枠の間、核廃棄物を環境から隔離できるものがない。(※7)
私たちの経済を原子力で促進し、核兵器で自らを保護することによって、私たちは地球を毒で汚染し、自らや自らの子孫、そして他の生き物たちに危険を生み出しているのである。
核による放射能は見えない、においもない、そして味もない毒である。健康に対するその影響は深刻で幾世代にもわたるのである。原子力発電所によって放出される同位体は私たちが吸う空気や、私たちが飲む水、そして私たちが食べる食糧を汚染しうるのである。それらは人体にとって放射能的かつ化学的に有毒なのである。
放射能を電離することの効果は、核の災害の初めに、家族や地域共同体を引き裂く心理的・社会的なトラウマの中に観測できる。時間とともに、さまざまなガンの危険性の増大も出てくるようになり、永久的な遺伝子損傷が明らかになる。
原子力産業に「安全」という用語を使うことは、支持することができないことが分かった。可能性が非常に低いと判断されていた重大事故は繰り返し起きてきた。(※8)そのような事故の重大な結果は政府や関連企業によっていつも無視されるかあるいは忘れられてきたのである。
核事故や核実験の間に放出され電離する放射能や化学有毒物質に対して「受忍できる」被爆(被曝)の程度を定めるというのは、誤解や危険を招くことがわかった。チェルノブイリ、福島、そして他の事故の後、この「受忍できる」程度の汚染というのは、その出来事について認識される深刻さを最小限にするとともに、公共の批判をかわすために、単純に引き上げられた。
核実験場周辺でも似たような政策が支配的である。地元住民は、自分たちの土地を使っている外国人たちから、放射性降下物で恐るべきことは何もないと、いつも言われた。彼らは危険性の高い区域を離れるようにとすら言われなかったことも時々あった。報告されている数多くの事例において、放射能の影響を研究するために派遣される軍医は、実験の被害者たちを検査するための権限を与えられても、医療を施すためのものではない。核実験場周辺にある社会に対する核物質の悪影響は今日も続いているのである。(※9)
最近の数十年において、新しい人道的規範が大量破壊用の化学・生物兵器やレーザー兵器、地雷やクラスター兵器に対して作られた。シリアの化学兵器を撤廃しようという指導的な核保有国による決意の表れは、更なる行動のための好例であるとともに先例でもある。
世界最強の兵器について似たような人道的禁止を達成することは難しいだろう。核武装した諸国は、核兵器の継続的な重要性を強調し、さらに何十年にもわたる使用のために軍備を近代化し、核軍備撤廃のための効果的な措置について交渉するための核不拡散条約の義務を最小化することによって、大多数の人たちの関心に逆らっているように見える。しかしながら、廃絶のための新たな地球規模の支持層が核をめぐる論争を変えつつある。各国政府、国際組織、市民社会の運動、そして宗教のネットワークが、健康や人道的・環境に対する核兵器の影響を根拠に、その正当性を否定しているのである。核兵器に起因するとされる正当性や威信は結果として損なわれつつある。
核問題におけるエキュメニカルな認識
世界教会協議会は、正義・参加と持続可能性という観点から、核兵器と核エネルギーに関する倫理的な省察と提言に関与する必要性を一貫して強調してきた。1948年のWCC第1回総会は「原子」やその他の近代兵器を使った戦争を「神に対する罪であり、人間の堕落」であると宣言した。教会の方針はそれ以来ずっと核の危険に立ち向かってきた。
1975年の第5回総会は、原子力発電と核兵器、廃棄物貯蔵の危険、そして核技術の拡大によって起こされる「倫理的なジレンマ」について警告した。(※10)1979年の信仰・科学と未来に関する世界会議もまた、原子力は二酸化炭素の排出を削減する上で重要かつ長期的な役割を担うことができないと警告し、原子力発電所の建設に猶予期間を求め、再生可能エネルギーに向けた大転換を強く要求した。(※11)
1983年の第6回総会は、「核兵器の保有とともにその使用を人類に対する犯罪として違法化するような国際的な法的手段」を呼び掛けた。チェルノブイリの災害の間における3年後のエキュメニカルな関心は、今日の福島の危機へと前に向かって読み取ることができるかもしれない。核に関わる労働者たちの安全性、十分に根拠のある危険性についての当局者の沈黙のパターン、そして個人に対する危害についての情報に対する市民の権利の否定である。
1989年の核エネルギーに関するWCC会議は、「人間の行動はしばしば被造世界の一体性を侵し、今日、その生き残りそのものを危険にさらしている」と指摘し、今日の核エネルギーについての評価を行うのに有効なエネルギー技術のための3つの倫理的な原則を勧告した。(a)「被造世界の持続可能性」を促進するという、未来の世代に対する責任、(b)人間の生き残りと達成を可能にすることとしての正義、そして(c)自らのいのちに直接影響を及ぼすエネルギーの選択における民衆の参加である。(※12)
2009年の「生態系の正義と生態学的な債務についてのWCCの声明」は、軍事と民間の両方における核エネルギーの利用に関する諸問題に焦点を当てている。すなわち、核兵器の製造と実験及び配備によって、そして核による紛争が引き起こすかもしれない「核の冬」や飢饉によって影響を受ける住民に当てはまる「生態学的な債務」、部分的には核エネルギーによって助長される「無制限な消費の時代」、そして原子力が安全で安くそして信頼できるという主張を否定する経済的および生態学的な知見である。
2011年のジャマイカにおける国際エキュメニカル平和会議は、「完全な核軍備撤廃」を求めるWCCの呼び掛けを再確認した。それは、2011年の福島の災害が「エネルギー源として原子力にもはや依存してはならないということを改めて証明した」と宣言した。
2013年の韓国におけるWCC総会は、「共有された人間の安全保障が、分断的で競争的かつ軍事化された安全保障よりもっと大きな、朝鮮半島に関する優先課題とならなければいけない」と述べるとともに、北東アジアの原子力発電所と核兵器の撤廃を呼び掛けた。(※13)
核の危険に反対するエキュメニカルな提言活動は、加盟教会の世界的な関与によって形成されている。カナダからインドまで、日本からオーストラリアまで、ドイツからマーシャル諸島まで、教会は原子力発電所の建設に抵抗し、核兵器の存在に対して抗議し、ウラン採鉱や核実験・核の災害による悪影響を受けた社会を支援している。これらの闘いの多くにおいて、他の宗教の人たちとの協力がある。
WCC中央委員会は、核エネルギーという困難な問題を抱えて今もなお旅をしている教会があることを認識するとともに、核エネルギーの問題に取り組むために、文脈によっては、異なる過程を経ることになる教会もあるものと承知している。
3つのアフリカ諸国の教会指導者たちは、アフリカ非核兵器地帯(条約)を2009年に発行させる触媒となり、2006年のWCC総会における勧告を遂行した。WCCによって開かれたエキュメニカルな提言活動のネットワークは、2011年のWCC中央委員会の決定に従って、2013年の武器貿易条約に人道的および人権の基準が確実に含まれるようにする助けとなった。釜山からの勧告を踏まえて、6大陸の教会は核兵器の人道的禁止に向けて調整されたエキュメニカルな提言活動に関与している。
被造世界の管理と危険性の管理
クリスチャンは神の創られた世界を保護するとともにいのちの尊厳を守る責任を共有するよう招かれている。今日のエネルギーの責任ある包括的な管理は、共通の善や被造世界の一体化、そして人類の未来をもっと考慮しなければならない。エネルギー源は安全で効率的かつ再生可能でなければならない。省エネルギーはエネルギー利用の不可欠な部分でなければならない。現在の利用が未来に重大な問題を生み出すことがあってはならない。今日のエネルギーは、結果的に未来のエネルギーとしても役立つのに適していなければならないのである。
何十年もの調査にもかかわらず、核エネルギーはそのような要件を満たしてこなかった。それは再生可能ではなく、持続可能な資源に基づいていない。核燃料の連鎖――採鉱・精製・運搬・建設、そして運転から廃炉と有毒な核廃棄物の永久的な管理まで――を通じて炭素が排出されるのである。核エネルギーがきれいで環境に優しいという主張は、その全体的な影響や結果およびその代替策を無視しているように見える。
とりわけ市民に対する政府の補助金と負債の移転が含まれる時、そして長期間にわたる核廃棄物管理の計算不可能な費用の事実が認められる時、核エネルギーは費用を負担しきれるものではないことが分かってきた。費用負担の可能性に関する十分な計算には、直接的および間接的な補助金や災害時の負債、そして安全な廃炉も含まれなければならない。これらの費用の一部は隠されている。一部は無期限に継続している。他のエネルギー源と比べて、原発は莫大な資本投資も必要となるのである。(※14)原子力のための巨額な政府補助金は、再生可能エネルギーの技術のための政府援助金をはるかに上回る。(※15)
公共資金の大規模な支出は、核兵器計画の顕著な特色でもある。毎年、核武装した諸国はおよそ1000億ドルを自国の核戦力に費やしている。兵器改良や更新・増設のための現在の計画は、欧州太平洋地域だけで合計5000億ドルにもなる。これらの何十億ドルもの公共資金は、核エネルギーに関わる企業も含めた民間企業にとっての莫大な歳入源である。30カ国にある約300の銀行や金融機関および年金基金が、核兵器関連の契約を持つ27の企業に投資している。2013年における彼らの持ち株は合計で3140億ドルにもなった。(※16)
核エネルギーの利用は、管理しがたい危険性を帯びている。核の災害の見込みは比較的小さいかもしれないが、災害の影響は非常に大きいものから、考えられないものに至るまで幅がある。その危険性は、したがって、高いのである。
そのような危険性を全体的に防ぐために、多くの政府が責任ある決定を行ってきた。日本の福島における災害の後、ドイツやスイス、スペイン、メキシコや台湾が、原子力発電所の閉鎖や建設の中止あるいは最終的に廃止することを宣言した。他の国家は非核エネルギー源に依存し核武装を拒否する決意を新たにした。
原子力発電所に補助金を出している政府は、同時に危険性を受け入れ自国の市民をそれらの危険性にさらしているのである。彼らはその内在的な危険性のために民間資本が避けている産業を補助するために公共資金を使っているのである。何十億ドルもの補助金に加えて、政府は万一核事故や災害が起きた場合にその産業に負債からの免除を認めている。例えば、福島の災害による経済的損失の合計額は推計で2500億~5000億ドルである。(※17)
核兵器を配備することは、人類史上おそらく最大の国際的な危険性を抱えることである。第一に、関係の政府は、自らの兵器を使うために信頼できる脅威を保たなければならない。第二に、それは攻撃されるのを避けるために敵の危険性管理に依存しなければならない。第三に、それはもし攻撃された場合に自らの危険性管理を放棄する準備ができていなければならない。その敵側も同じ矛盾を抱えることになる。地球の運命はこの異様な生涯にわたる賭けという糸にかかってしまったのである。もちろん、そのような賭けに固執することは、私たちの創造主をあざけることになる。
条約や協定にも関わらず、核兵器の拡散は継続的な危険のままである。冷戦以来核弾頭の数が削減された一方で、核武装をした国々の全体的な傾向は、自国の核兵器の備蓄を撤廃するよりもむしろ近代化することである。核兵器能力を持つ国々の数は増加してきた。実際、核兵器計画を持つだけで、小国にとってさえも、国際問題の強力な道具となることが分かってきたのである。
安全保障と機会をめぐる原子力と核兵器のつながり
原子力は核兵器の製造に必要な装備や物資および技術を獲得するための道である。「平和のための原子」とか「核エネルギーの平和利用」として推進されてきた原子力の拡大は、核兵器の拡がりを助けてきた。原子力の民間利用は軍事的な意図を隠して核兵器における利用のために核廃棄物を再処理するよう国々を誘惑することができる。さまざまな程度に精巧化された技術を持つ国々は、原子炉級のプルトニウムを核弾頭のために使うことができる。
民間や軍事用の核施設は、テロリズムまたは戦争行為の潜在的な標的である。放射性物質が盗まれたり、あるいは売られたり、そして通常の爆発物と一緒に使われて「汚い」爆弾を作ることがありうる。
400以上の原子力発電所が世界中で運転中であり、15カ国が電気の4分の1かまたはそれ以上のためにそれらに依存しているため、原子力を取り替えるには時間がかかるだろう。しかしながら、より安くてもっと安全かつさらに持続可能な代替策は利用可能である。第一は省エネルギーである。現在のエネルギー生産全体の4分の1は省エネルギーによる措置を通じて節約できると推計されており、原子力によっていま発電されている量よりもはるかに多い。エネルギーの節約は核エネルギーに対する最も達成しやすい、最も費用が少ない、そして最も安全な代替策である。
原子炉の廃止や核軍備の撤廃は、他の機会をももたらすだろう。再生可能エネルギーを増大させ、核関連の仕事が失われる地域社会を支援し、新しく環境に対して責任ある事業を促進し、危険な核物質の生産を停止し、国際環境から核の脅威を除去するのである。それは――気候の危機のように――21世紀における良い統治と人間の繁栄には、国家および国際的な自らの利益の首尾一貫した再調整を必要とするということを示すための機会ももたらすことになるだろう。
正義と平和の巡礼としての核の出エジプト
神は寛容な創造主であり、原子や分子からいのちを生み出し、豊かないのちで被造物を授けてくださる。この原子を、死をもたらす不自然な要素に分裂させることは、すでに深刻な倫理的かつ神学的な省察の原因をもたらしている。いのちを脅かし破壊する形で原子のエネルギーを利用することは、神の被造物の罪深い悪用である。
私たちはいのちを危険にさらす代わりにそれを守る形で生きるよう招かれているのであり、核兵器によって防衛され、恐怖を持って生きるのでもなければ、核エネルギーに依存して、浪費して生きるのでもない。私たちは神の数多くの賜物やいのちの約束との調和のうちに、共同体や経済を築くよう招かれている。
1990年代に、カナダ北部のサトゥ・デーン族が、自分たちの土地から1945年に広島と長崎を破壊した爆弾にウランが使われていたことを知った時、彼らは謝罪をするために長老たちの代表団を日本に送った。私たちにもまたそのような証しがある。軍備やエネルギー利用を人々や神の被造世界に対するそれらの影響によって判断すること、物質的な安楽や便利さを求める私たちの願望が、私たちが消費するエネルギーの源や量に対する関心から私たちを隔離させていると告白すること、核兵器の維持に対する全ての支援を放棄し、他の諸民族の大量破壊が自分たちを保護する正当な形となりうるということの受容を拒否することである。
ヒバクシャ、ピポクジャ(朝鮮・韓国の原爆被災者)、そして核実験場の被害者たちは核時代からの出エジプトを求めて叫んでいる。私たちは核による危害に苦しむ全ての人々――遺伝子突然変異によって体が変形している人たち、核実験によって自分たちの土地や海が汚染されている人たち、自分たちの農場や都市が核事故によって汚されている人たち、鉱山や発電所での労働によって放射能にさらされている人たちに耳を傾けなければならない。
神は私たちを核の悪を含む悪から解放してくださる。被造世界が破壊されるかもしれない可能性に向き合って、神は契約を全ての被造物を含むように開いてくださった(創世記9章)。神の霊は全ての被造物を維持してくださる(詩編104編)。人々の搾取と被造世界の破壊は連動する(イザヤ書23章)。神の御言葉は私たちをご自身のご臨在と創造における御心へと導き、被造世界の良さに害を与えないよう警告し、被造世界の全てが驚嘆・称賛・そして賛美に値するということを思い出させてくれるのである。
神は私たちの前に命と死、幸いと災いを置いておられる。神は私たちに、私たちも私たちの子孫も生きることができるように、「いまいのちを選び」なさいと懇願しておられる(申命記30章)。釜山総会は、神の「いま」が切迫したものであること、それが終末論的な時であること、悔い改めの時であり恵みに満ちていることを思い起こさせられた。教会として私たちは、核弾頭の目もくらむような閃光や原子炉の致命的な輝きから、私たちが存在している自然界の健全なエネルギー源――太陽・風力・水力そして地熱エネルギー――へと帰ることによって、いのちを選ぶために自らを教育しなければならない。これが核やその他の危険からの出エジプトの道である。
「今まで私たちは、原子力発電を通じた電気の豊かさという『甘味』を味わったとすると、今から我々は原子力発電所の閉鎖と、核廃棄物の処理という『苦味』を味わわなければならない」と、韓国のあるキリスト者信仰宣言で釜山総会の前に述べられた。「私たちが必要性を宣べ伝えるのは、核武装をした国々の現状維持を確保することではなく、全ての人類と被造物のためにいのちを確保することである」(※18)
神はいのち・正義そして平和に向けた、そして自滅・暴力そして戦争から離れる道を備えてくださった。(※19)その精神で第10回総会は、正義と平和のエキュメニカルな巡礼に加わってそれを強めるよう世界中の教会を招いた。
2014年7月2日から8日までスイスのジュネーブで会合を行った世界教会協議会中央委員会は、したがって、加盟教会と関連の奉仕団体やネットワークに次のことを呼び掛ける。
- 民間および軍事による核エネルギーの利用についての倫理的・神学的な論争を持続させて深め、それらがどんな目的に仕えているのか、それらが実際にいくらかかるのか、それらが誰の利益のために役立っているのか、それらがどんな権利を侵害しているのか、それらが健康や環境に与える影響、そして核による電気を利用したり、あるいは核兵器からの保護を受け入れることに内在する証しがあるかどうかを探ること。
- 個人や共同体の生活様式において変革をもたらす変化を導くために生態学的に敏感な霊性を発展させ実践すること、エネルギーの消費と効率・節約そして再生可能な源からのエネルギーの利用に前向きな変化をもたらすこと、そしてWCCの中で環境に対する意識を持つ教会の経験をもとにすること。
- 核兵器あるいは原子力発電所や関連の輸出品の生産に関わっている事業や金融機関からの投資の撤収を実践し促進すること、そして核兵器や原子力発電所から再生可能エネルギーの開発や、原子力産業が閉鎖する地域社会の再開発に政府支出の再配分を求めて提言すること。
- 日本の福島における災害で生き残った人たちや太平洋の核実験の被害者たちを含む、核事故や核実験の被害者たちのための社会復帰や、牧会を通じて寄り添う活動、訴訟、そして損失の補償を支援すること。同様に、核武装した諸国家に対してマーシャル諸島が国際司法裁判所に起こした訴訟を支援すること。
- 政府間の取り組みに加わるよう彼らの政府に要求し、国際人道法に従いかつ既存の国際的な義務を履行して核兵器の生産・配備・移転そして使用を禁止するための、市民社会の努力を認めること。
- 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のように開かれた参加型の連合体において、市民社会や教会そして他の宗教団体と協働するエキュメニカルな提言活動のネットワークに参加すること。
- 軍事演習の停止や核抑止に代わる集団的な地域安全保障協定を含む、朝鮮半島の非核化という長年のエキュメニカルな目標に向けた具体的な歩みを支援すること。
- アジアにおけるあるいはアジアを標的とする軍事基地や核戦力そしてミサイル防衛の拡張に反対し、韓国の済州島にある江汀村での新しい海軍基地を含むそのような軍事的拡張に対する市民による抵抗の意識を高めること。
中央委員会は加盟教会・関連の奉仕団体やネットワークに対し、WCCとともに調整された国内及び国際的な次の提言活動に関わるよう呼び掛ける。
- 核軍備撤廃を要求しながらも米国の核戦力に依存している、核兵器を持たない31カ国に対し、国際人道法に従って核兵器の撤廃を積極的に支持し、自らの領域から全ての核兵器を撤去し、集団的で核によらない安全保障協定について交渉するよう、強く要求すること。
- とりわけ北東アジアと中東における、新しい非核兵器地帯と、核兵器の存在ないし核兵器からの脅威に対する東南アジアや太平洋・ラテンアメリカおよびアフリカの既存の地帯を強化する手段を促進すること。
- エネルギー効率と節約を高め、二酸化炭素の排出量や有毒廃棄物を削減し、再生可能エネルギー源を開発するべく、原子力発電所を廃止し全体的なエネルギー利用を改革するよう各国政府に強く要求すること。
- 正義と平和のエキュメニカルな巡礼への貢献として、これらの勧告と一致する首尾一貫した他分野にまたがる行動を組織すること。