世界教会協議会(WCC)中央委員会は9日、「核のない世界に向けた声明」を発表した。同委員会はこの声明文で、核の危険を終わらせ、1945年の広島から2011年の福島まで、そしてそれ以降も続く核の悲劇による影響を受けている人たちの証しに応えるために、教会が働く方法を勧告した。
WCCは加盟教会に対し、民間および軍事による核エネルギーの利用についての倫理的・神学的な論争を深めるとともに、「核による電気を利用したり、あるいは核兵器からの保護を受け入れることに内在する証し」を検証するよう呼び掛けた。
この声明文では、生活様式を変えることや、よりきれいで安全かつ再生可能なエネルギー源の採用が勧告されている。企業や銀行が原子力発電所や核兵器の生産に関わっているところでは投資を撤収することが促されている。教会は、核の事故や爆撃・実験で生き残った人たちに耳を傾け、支援をし、共に唱道することが強く求められている。
この文書は、「国際人道法に従いかつ既存の国際的な義務を履行して」、核兵器の禁止に向けた、調整された国際的な提言活動において、WCCに加わるよう、それらの教会を招いている。また、その目標を共にする他者――政府、他の宗教、そして核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)を含む市民社会の団体――との協働が強調されている。
さらに、「核軍備撤廃を要求しながらも米国の核戦力に依存している」北大西洋条約機構(NATO)や北東アジアの31カ国の政府に対し、核兵器の撤廃に加わってそれらを自らの地域から除去し、代わりに集団的な非核安全保障協定の交渉をするよう特別アピールがなされた。
この声明文には、空間と時間を破る影響をもつ核兵器は、「真の平和と調和できない」と述べられている。それは、「核武装をした国々の全体的な傾向は、自国の核兵器の備蓄を撤廃するよりもむしろ近代化することである」と注を付けている。
人々、共同社会の生活、そして自然の生態系にとって、「核エネルギーの関連技術は、異常なほど危険な形の開発である」と、この声明文は続けている。原子力は、今日のエネルギーに必要な「責任ある包括的な管理」という基準を満たすものではない。この声明文によると、核エネルギーは安全であるとか、再生可能であるとか、費用を負担しきれるとか、持続可能であると証明されておらず、「管理しがたい危険性を帯びている」。原子力発電所を助成する政府は同時に高い危険性を受け入れており、自国の市民を危険にさらし、民間投資が寄り付かない産業に公的な金で資金を提供している、と指摘する。
また、原子力が核兵器を獲得する道であると、この声明文は述べ、その一方で、核エネルギーの民間及び軍事利用における、並行した健康上・人道的・環境面および安全保障上の危険を指摘している。
神学的課題に関する項目には、「神は寛容な創造主であり、原子や分子からいのちを生み出し、豊かないのちで被造物を授けてくださる。この原子を、死をもたらす不自然な要素に分裂させることは、すでに深刻な倫理的かつ神学的な省察の原因をもたらしている。いのちを脅かし破壊する形で原子のエネルギーを利用することは、神の被造物の罪深い悪用である。私たちはいのちを危険にさらす代わりにそれを守る形で生きるよう招かれているのであり、核兵器によって防衛され、恐怖を持って生きるのでもなければ、核エネルギーに依存して、浪費して生きるのでもない。私たちは神の数多くの賜物やいのちの約束との調和のうちに、共同体や経済を築くよう招かれている」と述べている。
核に関するこの新しい方針の必要性は、昨年に韓国の釜山で開かれたWCC第10回総会で認められ、その草案作成はジュネーブで会合を行っている現在の中央委員会の会合で完成された。この文書は、ヨーロッパ、北アメリカ、そしてとりわけ、核の爆発や事故及び脅威がすでに重大な犠牲をもたらした、北東アジアでのエキュメニカル及び諸宗教間の会議からの一連の呼び掛けを引用している。「私たちが必要性を宣べ伝えるのは、核武装をした国々の現状維持を確保することではなく、全ての人類と被造物のためにいのちを確保することである」と、韓国のクリスチャンの団体が2012年に発表したある呼び掛けには述べられている。
声明文(英語)の全文はこちら。
※ 本紙による日本語訳(非公式訳)は追って掲載します。