東日本大震災から4年を経て、福島第一原発事故の被害の実相、責任、将来の見通しなどの問題といかに建設的に向き合っていくことができるかを確かめようと、日本カトリック正義と平和協議会「平和のための脱核部会」は4日、東京都千代田区のイエズス会岐部ホールで、座談会「被ばく地フクシマと私たち―現場から、世界から―」を開き、約20人が参加した。
最初に発題を行った上智大学神学部講師で日本カトリック司教団脱原発文書編纂(へんさん)委員の久保文彦氏は、福島第一原発事故の責任を考える視点として、1)政府・電力会社・専門家の責任、2)原発を容認し、その電気を利用してきた「市民」としての責任、3)(原爆も含めて)核エネルギーを解放した「人類」の一員としての責任、という3つの責任を挙げた。
また久保氏は、原子力の専門家ではない教会・キリスト教徒がなぜ原発問題に関わるのかについて、教会・キリスト教徒に、原発の電気を利用してきた「市民」「人類」の一員としての責任があること、原発を利用する人間の生き方の善悪(倫理)を問い直す責任があることの2つを挙げた。「どのような社会が望ましいかは、教会にとって、キリスト教徒の生き方にとって本質的な問題だ」と久保氏。「だから、原発がキリスト教徒として生きる原則と両立し得るかは、どうしても考えなければいけない問題だ」と説明した。
久保氏はまた、広島原爆、長崎原爆、ビキニ水爆実験被災、東海村JCO臨界事故、福島第一原発事故という日本が経験してきた核の惨事を挙げ、「(日本は)核攻撃、核実験被ばく、核施設の大事故を全て経験した。このような国は世界では日本だけ。核からの解放を可能にする新しい生活の指針を考える役割が、とりわけ日本の教会に期待されているのではないか」と述べた。
その上で久保氏は、「福島第一原発事故とは、私たち人間の生き方の歪みが引き起こした出来事だった」と述べるとともに、キリスト教の観点からの原発事故へのアプローチの試みとして、創世記1章9〜10節、エレミヤ書5章20〜25節、詩編104編9節、ヨブ記38章8〜11節、箴言8章27〜29節を引用。人間が神に代わり自然の支配者になろうとし、科学技術を律する倫理が進歩していない人間の生き方の歪みが、原発事故の要因と言えるのではないかと述べた。
また久保氏は、福島第一原発事故の原因について、大津波は「想定外」ではなく、想定されていたと指摘。「東電の当初の津波想定が過小だった」「津波想定の改定に基づく設備改良を怠った」と述べるとともに、「原発を完璧に制御する能力が人間に欠けている以上、そのような原発を利用する権利が人間にあるのか」と問い掛けた。
久保氏はその上で、ドイツの哲学者ロベルト・シュペーマンが、途方もないリスクを伴う原発を利用し続ける人間の無責任な生き方を批判していると紹介。脱原発先進国のドイツが手本になると言い、「ドイツが脱原発を選択できた理由は、原発のない社会を実現するための政策プランを社会全体が共有できたからだ」と語った。また、ドイツでは緑の党の役割だけではなく、「教会の貢献も無視できない」と指摘。「ドイツに学びながら、脱原発(の大学や諸宗教など)や市民運動と連帯しつつ、日本の教会も核から解放された社会の実現に向かう上で一定の役割を果たせるのではないか」と結んだ。
次に、東日本大震災の被災者支援を行っているNPO法人「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」(東北ヘルプ)の事務局長で『被ばく地フクシマに立って―現場から、世界から』の著者でもある川上直哉氏(日本基督教団仙台市民教会牧師)が、「被害の『実相』と私たちの責任」と題して発題した。
これまでに60世帯を超える福島の母親たちと定期的に面談を行っているという川上氏は、「放射能とは、放射線と不安を放射する能力」だと述べるとともに、放射能のことについて隠したいという「空気の変化、あるいは窒息のイメージ」があると語った。
また、世界教会協議会(WCC)中央委員会が昨年採択した声明文「核から解放された世界へ」について、その作成に関わった川上氏は、韓国やニュージーランド、タヒチをはじめとした教会の国際連帯を土台に、被害者に聴くことから始めたものだと述べ、核からの解放には出エジプトのビジョンが入っていたことを明かした。
そして川上氏は、RDR(Radiation Disaster Reduction=放射能災害の減災)を目指して、まずはビジョンを描くことが必要だと語った。次に声明文を作成し、それを学び、当面の目標を見据えることで「減災を検討する」こと、そして3つ目に、(山本七平氏の言う)空気に水を差す、節電をする、話を聞く、教会を動かすといった実践を始めることを語った。
最後に、「平和のための脱核部会」会長でイエズス会司祭の光延一郎氏が「カトリック教会と脱原発」と題して発題した。光延氏は、バチカンは福島第一原発事故以前、原発に何の疑いも持っていなかったが、事故後、イタリアが国民投票によって脱原発を選んだことをきっかけに、ローマ教皇の原子力利用に関する見解に変化の兆しが見えてきたと語った。
2011年6月、前教皇ベネディクト16世が「人類に危険を及ぼさないエネルギーを開発することが政治の役割だ」と指摘。現教皇フランシスコは今年5月、新回勅『ラウダート・シ』を発表し、核エネルギーなどの能力は「私たちに巨大な力を与えている」が、「そうした力が賢明に使用されるかどうかについて、それが現にどのように使われているかを見れば、何の保障もありません」と述べた。また、教皇フランシスコはこの回勅で、20世紀半ばに核兵器が投下されたことなどに言及し、「それが人類のごく少数に握られていることは極めて危険」だと述べている。
この回勅について光延氏は、「全体的な方向性はいいと思う。原則がもう一歩進めば、原発の問題にそのまま移っていけるというところまできていると思うが、しかし具体的な内容を扱っているかというと、今一つだったかなという印象だ」と感想を述べた。
光延氏は、日本のカトリック教会の原発問題への取り組みについて、現在新しく作成中の「日本カトリック司教団脱原発文書」の内容を紹介し、2011年11月に日本カトリック司教団が出したメッセージの姿勢を、神学的、倫理学的、社会学的、科学的に裏付け、核問題についての、教会と市民社会に向けてのモラル・オピニオンとなるものとすると述べた。
これは、韓国カトリック司教協議会による『核技術と教会の教え―核発電についての韓国カトリック教会の省察』から触発されたことを動機とし、韓国カトリック教会への応答となるものとするという。また、米国やフランスなど核保有国、原発推進国におけるカトリック教会、バチカンの核問題への取り組み、さらにプロテスタントを含めたキリスト教界に対する提言となるものを目指すという。一般信徒を対象として想定し、文章は平明を心がけるが、学術性を犠牲にはせず、学術的な評価に耐えるものとするという。