私は今世紀に入ってから5回、ドイツを訪れ、主要都市を回った。アウトバーン(高速道路)を行くと、行く先々に風力発電機が立ち並んでいた。ドイツ環境省に聞くと、最近4年間に約8000基も増え、設置数は3万基を超えたという。ドイツ南部では屋根に太陽光発電を取り付けた住宅が年々、増えている。
風力発電と太陽光発電を柱とするドイツの再生可能エネルギーの総生産量は、2050年までに全エネルギー生産量の80パーセントに達する見通しである。私はドイツの脱原発と再生可能エネルギー拡大の取り組みぶりに感銘を受け、数年間の取材の後、2013年に『なぜドイツは脱原発を選んだのか』を著した。
調べてみると、ドイツが再生可能エネルギーの拡大に取り組み始めた背景には、ドイツ社会に根付いているキリスト教倫理が大きく影響していることが分かった。それは一言で言えば、「原発は将来世代に引き継いではならない巨大技術である」というものであった。そこで、ドイツの脱原発とキリスト教倫理の関係について、あらためて考えてみたい。
旧ソ連原発事故を機にエネルギー転換
ドイツが再生可能エネルギーに取り組み始めたのは、1986年4月のチェルノブイリ原発事故がきっかけである。この事故で空高く噴き上げられ、風に乗ってドイツにまで運ばれて来た放射性物質がスイス・アルプスの高い山々にぶつかって降下した。その結果、バイエルン州では農作物や畜産物、土壌が放射能によってひどく汚染された。
ドイツ連邦議会は原発の新規建設を禁止、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)の連立政権は、太陽光発電や風力発電を拡大して既存の原発に代わるエネルギー源とする政策をひたすら推進した。2000年6月、社会民主党と緑の党の連立政権が稼働中の原発19基を2022年までに全廃する政策を決定した。これに対し、キリスト教民主・社会同盟と自由民主党の連立政権(首相はキリスト教民主同盟のアンゲラ・メルケル党首)は2010年9月、原発の運転年数を延長した。
ところが、その5カ月後に当たる2011年3月11日、福島第一原発事故が発生、原発運転年数延長政策に反対する世論が高まった。メルケル首相は「日本のような高い技術を持つ国でさえ、巨大な原発事故が起きた」と発言、即座に老朽化している原発など7基の運転を停止させた。そして4月初めに首相の諮問機関として「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置した。日本では考えられないことだが、ドイツには社会的に重要な政策を決定する際、倫理委員会を設置して議論する伝統がある。
キリスト教倫理に基づく脱原発
この倫理委員会にはキリスト教の考え方が反映された。そもそも委員の人選に関わったメルケル首相自身、西ドイツから東ドイツへ移住したプロテスタント教会の牧師の娘である。設けられた倫理委員会のメンバー17人の中にはプロテスタント教会の地区監督、カトリック教会の中央委員会委員長、地区枢機卿などキリスト教関係者が4人選ばれた。委員長には、ドイツの環境相と国連環境計画(UNEP)事務局長の経験者で、熱心な脱原発論者として知られるクラウス・テプファー氏が委嘱された。
5月30日、倫理委員会がメルケル首相に行った答申の中心部分は、キリスト教倫理の考え方に基づき、次のように書かれた。
「われわれはキリスト教の伝統と欧州文化の特性に基づき、将来世代のために自然環境を保護するという特別な義務と責任を持っている。福島の事故は、原子力エネルギーが人類の制御できないテクノロジーであるという疑念を抱かせた。将来に対する負の遺産であるテクノロジーを子どもたちに引き継いではならない」
メルケル政権は、この答申に基づき、全原発を2022年までに廃止する法案を閣議決定して連邦議会に提出、連邦議会は6月30日、全原発を2022年までに廃止する法案を満場一致で可決した。
科学技術は人間にさまざまな可能性を与えてくれるが、その可能性の中には倫理的に見て選択してはならない危険なものも含まれている。ドイツの政府と国民は「人類が進むべき道を決める基準は、科学でも技術でもなく、倫理であるべきだ」との考え方に立ち、原子力エネルギーの電力生産への利用を倫理的に見て好ましくないとして退け、脱原発の道を選択したのである。(続く:広島・長崎の被爆70年に思う)
■ 環境ジャーナリスト・川名英之コラム:(1)(2)(3)(4)
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