関西学院大学法学部教授(宗教主事)でキリスト教と文化研究センター長の栗林輝夫先生が5月14日、67歳で亡くなられた。栗林先生は解放の神学を専門とされていたが、同時に日本を代表する組織神学者でもあった。代表作である『荊冠の神学 被差別部落解放とキリスト教』と『現代神学の最前線 「バルト以後」の半世紀を読む』の2冊は、佐藤優が『神学の履歴書』の中で、特に読むべき神学書100冊として、カール・バルトやディートリッヒ・ボーンヘッファーなど、20世紀を代表する世界の神学者の著作と共に挙げている。その他、『キリスト教帝国アメリカ』など、米国政治と宗教に関する著作や、『シネマで読む新約聖書』『同 旧約聖書』など、キリスト教に関する入門書まで多くの著作を出されていた。
私は2年間、関西学院大学神学部で学ぶなか、組織神学演習で栗林先生の授業を受講させていただいた。2013年の授業では、20世紀初頭、社会進化論が唱えられ、貧富の格差が広がった米国で、“社会的福音(Social Gospel)”を主導し、社会運動に関わった牧師、ウォルター・ラウシェンブッシュの『キリスト教と社会の危機』を読んだ。その思想と信仰を読み直すことが、現代日本の社会と教会の在り方に、何らかのヒントになると感じておられたのだと思う。
2014年は、先生の『現代神学の最前線』をもとに、現代神学を網羅的に学んだ。“現代神学”と一言で言っても、その範囲は膨大だ。世俗化、黒人神学、解放の神学、フェミニスト神学、ポストモダン神学、ポストリベラル神学、ポストコロニアル、プロセス神学、宗教右派、福音派神学など、それらは政治、社会、戦争、現代思想、科学技術の進歩などと絡み合いながら形成されてきた。それがわずか250ページに凝縮されたのがこの著作だ。その一つ一つを整理し、歴史的に位置付けて評価し、解説していく講義は、知的興奮に満ちたものであり、組織神学とは恐ろしく深く広い世界だと、瞠目(どうもく)する思いだった。
先生は東京神学大学大学院修士課程修了後、世界のリベラル神学の中心として著名なニューヨークのユニオン神学校に留学されている。授業中に時折挟まれる留学時代の思い出話を伺うのも楽しみだった。解放の神学者、グスタボ・グティエレスの力強い話しぶり、ユルゲン・モルトマンの紳士的なたたずまい、あるいは先生の奥様がドイツの白人ということで、黒人神学者ジェイムズ・コーンから博士論文の審査を拒まれたというエピソードなど、本でしか知ることのできない世界的な神学者の息吹を感じさせられたものだ。
同時に、世界で(そして日本でも)リベラル神学が退潮していることに危機感を感じられていた。ユニオン神学校も今や敷地を切り売りして何とか存続しているのだという。そんな中で、ハーバード大学のローレンス・サマーズ学長と大げんかをして辞表を出し、ユニオン神学校に移籍した“行動する黒人神学者” コーネル・ウェストのことは、特に熱を込めて話されていた。黒人問題やイラク問題で鋭く政権批判を行い、社会活動にも参加し逮捕経験もあるコーネル・ウェストのテレビ討論番組を紹介されたこともある。その知性と行動力、そして神学者としての社会に対する責任倫理の取り方を深く尊敬されていた。
書籍だけでなく、映画、音楽、ニュースなどを交えて、90分という限られた授業時間の中で、世界の最新の神学潮流を、実感あるものとして学生に伝えようとされていた。そこからは、狭い日本の神学界をはるかに超えた、世界の知と現実のダイナミズムを感じさせられた。
教室ではいつも、アメリカンジェントルマンともいうべき穏やかでダンディーな語り口で話されていた。私たち学生や聴講している年配の方の質問にも、いつも丁寧に真摯(しんし)に優しく敬語で答えられていた。その人柄が一番表れているのが、香川県の大学に在籍されていたときに触れた地元讃岐の民話を神学的に読み解いた『日本民話の神学』だと思う。ユニオン時代の恩師で、タイでの宣教経験からアジアの風土をもとに独自の神学を構築した、「水牛の神学」で海外でも知られる神学者、小山晃佑の方法論を受け継ぎながら、日本の民話を通してキリスト教や現代思想を解説していくこの本は、若い学生にぜひ読んでもらいたいと思う。
神学における「方法論」の重要性についても繰り返し話されていた。「神学を作り上げるには、4つのものが必要です。①聖書、②伝統(教会)、③経験(ヒューマニズム)、④理性(学術)。僕は『荊冠の神学』を書くにあたって、③と④を通しての方法論に3分の1を費やしました。皆さんが自分なりの神学をつくるにも、まず方法論を固めることが重要です」という言葉が耳に残る。
栗林先生は自らの信仰について語ることはほとんどなかったが、その代表作『荊冠の神学』のあとがきで、わずかにそれについて書かれている。そこでは、尊敬するジェイムズ・コーンの「神学者は『もう少し正直になって』、なぜ自分がそのような神学的主張や立場を取るのか、なぜその特定課題に興味を持つのかという事情について読者に語る義務がある」という言葉を引用し、差別された人々と関わりがあった父のこと、母のこと、ドイツ人の奥様が日本で生活する中で感じた痛みについて語りながら、こう書かれている。
「冒頭で私は三つの差別の有り方について特に関心があると書いた。そのどれもが私にとってキリスト教信仰の理解の中核となっている。母の出来事を契機にして私はキリスト教を考えるようになった。(中略)イエスの福音は私には最初から被差別者、被抑圧者への慰めと解放として開示されてきた。もし今、私が大学教員という『知的階層』にパッシングしたまま口をつぐみ、私の歴史の前に累々として横たわる、差別された者たちの涙ひとつひとつを拾わなかったら、どうだろうか。そして歴史の未来に生きる世代の子供らに対して、希望と和解を繋(つな)げていく努力をしなかったら、どうだろうか。そのときには私を責めて、母や祖父らの声がアベルの血のように大地から噴き出、石も叫び始めよう」
「とすれば、全世界の無実無名の人々の涙が拭われて自由の王国を祝う歴史の終末時まで、見ゆる現実の困難さに逆らって希望を語り継ぐのが、神学学徒としての私の務めである」
震災による原発事故以降は、キリスト教と科学技術をテーマに積極的な発信を続けられていた。『原子力発電の根本問題と我々の選択』(北澤宏一と共著)では、高木仁三郎の「聖書は核を予見したか」という論考や、1961年に世界平和の促進のためにと、米国の聖公会から立教大学に実験用原子炉(40年間使用され、現在は廃止措置中)が寄贈され、原子炉奉献祈祷が行われた歴史などに触れている。そして、創世記にさかのぼり、本来神から人間に与えられた力である「技術」をキリスト教はどう考えるべきか、と問いを投げ掛け、「今回の原発事故のような危機を体験したとき、聖書が何を語ってくれるのか、問いに対してどのような解放の道筋を示してくれるのか、それを明らかにすることに聖書学者や神学者の存在意味がある」と書かれている。
また、日本の聖書学者、神学者、牧師も、現場で活動されたわずかな例外を除いて、原子力を神学のテーマとしてまともに取り上げたケースはごく一部だった、と反省の弁も述べている。先生は一貫して、今この現代の日本において、神学することの意味を考えておられていたのだと感じる。
授業では時々少し寂しそうに、「僕も身体が許せば、研究者として集大成になるものを書かねばならない年齢なんだけどね」と漏らされていた。そして今年1月、秋学期最後の授業も近づいた頃、こうも仰っていた。
「原爆と原発の問題を、日本の神学のテーマとして取り組まなければいけないと思う。でももう身体が許さないかもしれない。誰か、若い人で僕の志を受け継いでくれる人がいてくれないだろうか」
栗林輝夫先生、はなはだ歯ごたえのない無知な私たちのような学生にも、いつも真摯に教えていただいてありがとうございました。どうぞ、ゆっくりお休みください。