シンシア・ルーブルに与えてくださった神様からの使命
「フーフー、ハーハー・・・フギャー、フギャー」
「母親の力む声、と同時に小さな命の誕生! しかし、生まれ出たこの命がどこへ行こうとしているのか・・・」
2012年10月に放映された中京テレビの文化庁芸術祭参加作品「マザーズ『特別養子縁組』母たちの選択」の最初のシーンです。そこには小さな命を守ったけなげな母親と赤ちゃんが映し出されています。思いがけない妊娠で出産を決意し、養子縁組を選択した女性です。
ナレーターがライフ・ホープ・ネットワーク(LHN)の働きを紹介してくれます。2005年に立ち上げられ、その理事として活動しているのが、アメリカの女性宣教師、シンシア・ルーブル。いえ、今はアメリカ人ではなく日本国籍を持つ、日本人のシンシア。日本に帰化までして、この国の人々に福音を伝えようとしてくれています。私が今までに出会った人々の中で最高に尊敬すべき人物です。シンシアと私の出会いは15年ほど前。当時、私は夫の転勤で愛知県に住んでおりました。そこで、彼女が行く教会に集い始めたことが最初の出会いでした。LHNが立ち上げられようとした時は、小さな命を守る働きや中絶に関しての知識、ケアすることの大切さなどには遠いところにいた私です。しかし、その働きは今年でちょうど10年を迎えます。
当時、彼女は名古屋の教会の宣教師として、そして同時に、ある私立大学の英語講師としても働いていました。そんな彼女がLHNを立ち上げようとしたのは、ある姉妹の話から。日本では中絶がまかり通って、多くの小さな命が闇に葬られ、そして中絶した女性が後悔の苦しさで立ち直れないでいる現状を聞いたからです。そして、行政も民間もその方面の援助、サポートがほとんどされてないことを知った彼女は、長い間祈り求め、そして何とかできないかと模索していました。日本ではすでにキリスト教関係の中でその小さな命を守るべく、あるグループが立ち上げられていました。
LHNは、思いがけない妊娠で誰にも相談できずに迷い、途方に暮れている女性の悩みに寄り添い、命を守る方向へと一緒に考えていきます。LHNに相談する前にすでに中絶をしてしまった女性に対してのケアもしていきます。出産を決意した後、その赤ちゃんを自分で育てるか、または養子に出すかはその過程で異なってくる場合もあります。母親としての母性が目覚め始め、自分で育てようと決心する女性も数多くおられます。思いがけない妊娠で出産するかどうかの迷いの相談も多くありますが、中絶後の後遺症に悩んでいる方の相談が多いことに驚かされます。シンシアが最初から取り組もうとしていたのは、妊娠の相談を寄せる女性の多くが、赤ちゃんの父親になる彼からも、またその家族、そして本人の家族からも見放されている状態の人が多いことに気付き、その人たちをLHNで受け入れ、出産までケアしていくことでした。
LHNが立ち上がった当初は、小さなマンションの一画を借りて、スタッフが相談日には常駐し、そこで相談の電話を待ちながら自分たちの勉強会をし、訓練を積み上げていきました。まだ誰にも知られていなかったLHNで奉仕する私たちの一番の敵は、何も起こらない日が続くことでした。その日に1件も相談の連絡がなかったり、1週間何もなかったりというような月が続くと、スタッフの意気がダウンしていくのです。ボランティアカウンセラーとして訓練を受けたスタッフが、決められた日に遠いところからそのマンションのオフィスに通ってきても、いつも空振りに終わってしまう。その時の申し送り書にはむなしく、今日も電話無しと書かざるを得ない日が続き、何のためにここまで来ているのかと自問自答するスタッフも増えてきてしまいました。電話がないことが、思いがけない妊娠や中絶で困っている女性がいないことに繋がらないから、余計に悔しい思いをします。日々闇に葬られる命は後を絶たないのですから、電話がないこと=その問題もないということにはならないのです。このような状態が最初の2、3年続き、誓約書(クライアントの守秘義務を守るとか、色々シビアな項目があります)に名前をサインした、当時10名ほどいたスタッフは皆離れてしまいました。きっと、祈りのスタッフとして見えないところでサポートしてくれていると信じています。
私たちはアメリカのライフ・インターナショナルのメンバーの面々から、ボランティアカウンセラーとしての訓練と学びを受けました。しかし、実践という場面になって、ほとんどのスタッフが去りました。主を待つことの大切さと苦しさを共に味わった仲間が今はいない。その主にある同志は、英語の資料を翻訳し、テキストを作り、チラシを配り、街頭でトラクトを手渡し、病院、教会を訪問し、あちらこちらで名刺を置かせてもらい、私たちにできる小さなメディアを駆使して働きを知ってもらうことに全力を尽くした兄弟姉妹です。そんな兄弟姉妹がいたからこそ、いまのLHNがあります。そのような中でも、シンシアの熱い宣教の思いと、苦しみの中にいる女性に福音を伝えようとする彼女の凛とした姿勢が、何のためらいもなく迷いもなく、私をつかんで離しませんでした。何よりも、彼女の上に生きて働いておられる聖霊の力をまざまざと見せつけられていました。日本に宣教に来る前の彼女は、アメリカではバリバリのキャリアウーマンで、高い地位にいました。その時はまだボーン・アゲインしたキリスト者ではありませんでした。そんな彼女がなぜ日本に来たのか。そして神の愛を実践しているのか。それは、彼女の母親が来日して、その証しを聞いて初めて知ることになるのです。
■ ライフ・ホープ・ネットワーク通信: (1)(2)(3)(4)
◇
塚本春美(つかもと・はるみ)
兵庫県生まれ。1984年三重県四日市市で受洗。家族は夫と子ども3人。2006年、夫の転勤先で現在の本屋ぴりぽのビジョンを主からいただき現在に至る。ライフ・ホープ・ネットワークのボランティアカウンセラー。