前回まではヨシャパテの礼拝(Ⅱ歴代誌20章)を見ました。問題があって悩む時こそ、神様を礼拝する。その時、全ての問題が解決することを学びました。
今回はモーセの幕屋とダビデの幕屋について見ていきます。
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:23、24)
神様は、真の礼拝者たちを求めておられます。救われることがゴールなのではなく、神様によって救われた者が、神様を礼拝する者になっていくこと。これが、神様の願いです。
旧約の礼拝では、聖所と至聖所(聖い所とさらに聖い所)があって、これらを隔てる幕がありました。ですから、至聖所の中には入っていけません。これが、モーセの幕屋での礼拝でした。
では、ダビデの幕屋での礼拝を見ていきましょう。
昔、ダビデ王の前にサウロという王がいました。彼は、サムエルという預言者が遅れてくるものですから、祭事を、つまり祭司の仕事をしてしまい、怒られてしまいました(Ⅰサムエル13章)。旧約時代には、王、預言者、祭司、この3つの奉仕があり、それらは分かれていました。しかし、ダビデは王であり、祭司の仕事もしましたが、許されました。それはなぜでしょうか。
ダビデは、イスラエルの精鋭3万をことごとく集めて取り戻した契約の箱を、新しい牛車に乗せて運んできました(Ⅱサムエル6:1~5)。5節を見ると、「ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った」とあります。この契約の箱を運ぶ時に、事件が起こったのです。
せっかく契約の箱を取り戻したのですが、運ぶ時に牛がこの箱をひっくり返しそうになったので、ウザがふれたのです(6~9)。契約の箱を棒につるして運んでいく絵がありますが、それは、箱に触れてはいけないからです。しかし、ここでは牛車に載せていきます。ウザとしては、親切心で落ちてはいけないと思って触れたのでしょう。しかし、触れてはいけないのです。ウザは触れてしまったので死んでしまいました。そういう事件があったので、ダビデはこのまま自分のところに持ってくるのは良くないと思い、主の箱をオベデ・エドムの家に預かってもらったのです(10~12)。そうしたらオベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものが祝福されたので、ダビデは3カ月後、その箱をダビデの町に運ぶことにしました。
礼拝とは捧げることですが、その時は、6歩進むごとに、1頭の牛をほふってささげていきました(13)。ウザの割り込みの事件を恐れたので、こういう方法をとったのです。
ダビデは「エポデをまとっていた」(14)とあります。このエポデとは祭司の服です。これをダビデが着てよいのでしょうか。ところが、ダビデはこれを着てもサウロ王のように裁かれませんでした。
実は、このダビデの幕屋は、新約時代の礼拝のひな形です。キリスト者は万民祭司と言われます。これが、旧約と新約の違いです。旧約では、民が神様の前に近づくことはできなかったのです。ところが、私たちは「天のお父様」と、イエス様のお名前で祈ります。これは祭司の働きです。ダビデは王であり祭司です。私たちも、もっともっと神様に近づいていく礼拝をささげたいのです。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるたるためなのです」(Ⅰぺテロ2:9)
ここに、「王である祭司」と書かれています。旧約では、これらは分かれていました。しかし、新約では「王である祭司」なのです。ダビデは王であって祭司でした。つまり私たちと同じ型なのです。ダビデの幕屋には、私たちの型が示されています。
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神内源一(じんない・げんいち) / 徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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