私たちは、時々心が疲れてしまう時があります。原因は様々ですが、ある女性は、ご主人の死をきっかけに心が疲れて外に出られなくなってしまいました。ある男性は、大学受験の失敗をきっかけに引きこもりになってしまいました。今多くの人の心が疲れているように思います。
心の疲れが表面に表れた時に、周りの人の対応も様々です。
1. 腫れ物に触れるように接する人がいます。どう扱ったらいいのか分からないので、おだてたり、なだめたりします。
2. 同情する人もいます。「かわいそうだね」「つらいんだね」などの言葉を連発し、相手に同情して、相手を弱い人と扱います。いいことをしていると感じていると思いますが、心が疲れた人を弱者として扱うために、自分で回復する力を削いでしまう場合があります。相手の可能性を信じてあげることも必要です。
3. 「こうすればいいんだよ」と指示したり、「がんばらなくちゃ」と励ましたり、相手が間違っていると決め込んで、そこから抜け出させてあげようと無理強いさせる人もいます。そうすると、「私は人に迷惑をかけているのではないか?」「周囲の期待に答えられない私はダメな存在だ」とますます疲れを増長させてしまいます。ゆっくりと自分自身を見直す時として見守ってあげることが大切だと思います。
4. 犯人探しをする人もいます。「相手のせいじゃないの?」「親が悪かったんじゃない?」「友だちのせいじゃない?」「社会が悪かったからでしょ?」「あなた自身が弱いからよ!?」。しかし、責任の所在を明らかにし、犯人を探しても、実は、相手の助けにはなりません。
大切なのは、相手のありのままをしっかりと受け止め、受け入れてあげることです。「あなたはあなたでいいんだよ」と、相手の行為や目に見える部分ではなく、存在そのものを受け止めてあげることです。やがて、自分の足で立ち上がっていくことができるようになります。
5. さらに奥の手があります。2015年前のクリスマスに生まれ、十字架にかけられたイエス・キリストと出会うことです。
イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と招いておられます。イエス様のもとには、永遠の安らぎと癒やしがあります。
私は18歳の時、人生に行き詰まって「死んでしまいたい!」と本気で思いました。その時、私の本棚にあった一冊の聖書に目が留まりました。無我夢中で聖書を読みました。「わたしのところに来なさい」というイエス様の言葉に出会いました。
自分の居場所を失い、「消えてしまいたい!」と思っていた私にとって、自分の居場所を発見した思いで我を忘れて祈りました。「私を救ってください!」。その瞬間、言いようもない安らぎを感じて、涙が止まりませんでした。救われた喜びがあまりにも大きかったので、神様に自分の生涯を捧げて牧師になりました。
その感動は、今でも消えていないどころか、ますます大きくなっています。心が疲れた時は、心の黄色信号が出ている時です。ゆっくり自分の人生を顧み、立ち止まってみられたらどうでしょうか。そして、神と出会うことができますように。
今日心が疲れていたとしたら、最大の祝福の時です。疲れた心に優しい声が聞こえてくるからです。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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