ヨシャパテは、「敵は大軍です」と神様に訴えていました。しかし、ヤハジエルの預言を聞いて、ヨシャパテの行動は変わりました。
「地にひれ伏した」(Ⅱ歴代誌20:18)。ヨシャパテは、主の前に来てはいましたが、礼拝をしていなかったのです。「大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した」(19)とあります。
その前には「賛美」という言葉が出ていません。「どうしたらいいのでしょう」と訴えていただけでした。ヨシャパテは、神様に集中していると言いながら、実は問題に集中していたのです。神様を求めないで、問題を何とかしてほしいと近づいているだけでした。
「神様、この問題を解決してください」と願う前に、神様の前に礼拝をささげ、賛美をささげるのです。いつも勝利の人生を歩む人は、どんな問題があったとしても、教会に来て、主に向かって賛美します。「あなたをほめたたえます。賛美します!」という時に、そのすべての祝福はあなたにやってくるのです。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれは、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)
また、日曜日だけではなく、日々の生活の中でも神様をほめたたえ、賛美していくのです。神様を賛美し、礼拝する心にはゆとりがあります。その中で、不思議に問題の答えが与えられるのです。ヨシャパテはこう言いました。
「ユダおよび エルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい」(20)
神様に仕える心です。神様にもっと訴えなさい、断食して助けてと祈りなさいというのではありません。神様が解決されるのですから、慌てないのです。
「その預言者を信じ、 勝利を得なさい」(20節)。みことばを信じるときに、勝利はやってきます。今、あなたにどんな問題があろうと、みことばを信じるなら、勝利がやってくるのです。
敵は、ヨシャパテに迫ります。その時、ヨシャパテは何をしたのか。武装して備えたのではなく、礼拝したのです。神様を礼拝するとき、私たちは勝利の中にいるのです。神のみことばは、「神を求める者は報われる」とはっきりと教えます。せっかく神様のもとに来ているのに、答えを得る方法を間違えてはいけません。
「それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した」(21)。軍隊ではなく、賛美する者を整えたのです。何を歌うのでしょうか。
「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」(21)。真の神様を礼拝する時、私たちの心には神様への訴えではなく、感謝があふれます。
チョー・ヨンギ先生は結核でした。賀川豊彦先生も結核に苦しみました。結核は当時、死に至る病でした。それを宣告されたとき、彼らはどうしたでしょうか。「天の父よ、私の命をあなたに委ねます。私を自由に使ってください」と、自分を捧げたのです。その時、神様の癒やしの奇跡が起きたのです。
「問題を解決してください」と祈るのではなく、「私を神様にささげます」と祈る時、あなたは神様に用いられます。「キリストのからだに仕えるために、私に何ができるでしょうか。何をささげることができるでしょうか」と祈る時、あなたは勝利していくのです。
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神内源一(じんない・げんいち) / 徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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