そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。・・・イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています」(使徒の働き10章34~43節)
私たちクリスチャンは、イエスが私たちの罪を背負って十字架の上で身代わりとなって死なれ、私たちの罪の汚れを取り除いてくださったこと、そして3日目に死人のうちからよみがえり、死を超える命をもたれるお方であることを信じています。それでイースターを祝います。たとえ私たちがこの地上の命を終えても、魂は神のもとでの永遠の命が与えられることを感謝しましょう。
イエスが復活されたのは週の初めの日の早朝であったという聖書の記述から、霊園に行ってイースターの早朝礼拝を守ることが伝統として残っています。それで、私たちの教会でも朝は大雨でしたが、たくさんの兄弟姉妹と共に霊園での早天礼拝を守りました。
この使徒の働き10章全体は、使徒ペテロと、イスラエル民族にとっては異邦人であるローマの百人隊長、コルネリオとのやり取りが書かれています。当初戸惑ったペテロも、信仰深いコルネリオを見、その話を聞いたとき、「このイエス・キリストはすべての人の主である」と宣言したのです。では、すべての人の主であるキリストの恵みとはどういうものでしょう。
1. 十字架と復活は歴史的事実という恵み
イエスのお働きは、歴史の中での具体的な事実であることを忘れてはいけません。ペテロはコルネリオに語るとき、イエスの地上での歩みから話し始めました。イエス・キリストを信じる信仰は、架空の宗教や机上の空論、または誰か賢い人の頭から生み出された単なる宗教の論理ではありません。聖書は神からの啓示であり、天地宇宙を造られた偉大な神を私たちが理解できるようにと、人としての姿をとって来られた神の御子イエス・キリストが、その救いを時間と空間において現され、事実とされたのです。
2. 十字架と復活は救いの中心という恵み
私たちの罪を背負って十字架の上で贖いの死を遂げられたイエスの愛と救い。死から復活して永遠の命を証明して見せてくださった天国への希望。このイエスに心の焦点を合わせたいと思います。
世の中には、自分の教えのためなら弟子や関係のない一般庶民を殺してもかまわないという教祖や、理想の国家を作るためと言いながら、人の命さえ奪うテロ集団が存在し、そこには死と滅びしかありません。しかし、私たちが信じるイエスの救いは、それとはまったく違います。言葉だけでは不安な私たちに、自らが死の力を打ち破ってよみがえってくださいました。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)とイエスはおっしゃいます。
3. 十字架と復活の証人による聖霊の恵み
ペテロ、ヤコブ、ヨハネたちは、目撃したイエスの十字架と復活の事実を証人として伝えました。それが今、聖霊の働きによって私たちのための救いとして現され、生きた福音であるイエス・キリストの御言葉が、私たちの手の届くところに届けられているのです。イエスの十字架と復活の恵みにあずかりましょう。永遠の命の希望がある本物の救いを私たちは共に喜んでまいりましょう。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。