青山学院大学と米デューク大学神学部の共催による国際シンポジウム「北東アジアにおける和解と平和のために~ナショナリズムを越えて」が2日、青山学院大学総合研究所(東京都渋谷区)の大会議室で開かれ、参加した71人が米国、韓国、台湾、日本からの4人の講演者による異なる視点の講演とディスカッションに耳を傾けた。
最初の講演は、米国の新約聖書学者でデューク大学神学部長・教授のリチャード・ヘイズ博士による、「崩された壁:復活と和解」。この中でヘイズ博士は、「イエスがその生涯を通じて訴えた非暴力の道を選ぶことこそ、新約聖書が私たちを召している、弟子としての生き方です。暴力によって荒廃した世界において、教会は、共同体としてこの召しに真実であってこそ、平和を可能にする神の国の予期的比喩となる」などと述べた。
続いて、韓国延世大学神学部副部長のサミュエル・パン教授が登壇し、「想像の共同体から預言的想像力へ:人間の連帯に向かう“ナショナリズムを超えるもの”についての神学的考察」と題して講演。ベネディクト・アンダーソン(米コーネル大学名誉教授)の著書『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』における「国家とは想像の共同体である」という主張を基に、国家にまさる市民社会について論じた。
この中でパン教授は、「教会はナショナリズムに対抗するものとしての市民社会を追究するというこの議論に、公共の場で、また活発に参加するための最大の可能性を有する」と主張。その上で、神学的課題としてナショナリズムを超えた神学的な人間の連帯を訴え、「教会は世界の眼前で何かのために戦わなければならない」と強調した。
また台湾からは、講演予定だったスーチョウ大学政治学部のマブ・ホアン教授が都合で急きょ来日できなくなったため、「中国の台頭と国際秩序」と題したホアン教授の講演原稿が代読された。
この中でホアン教授は、中国について、アジアと世界における地位を高めていく中で、軍事力の行使という形では、自国の行動の自由を制限することは間違いないと断言。世界各地で民族や宗教の対立がはびこる中、とりわけ政情が不安定な中央アジアと南アジアでは自国の利益を守ることを必要とする時が来るかもしれず、その時点で中国は大規模な戦争に踏み切る可能性があると指摘した。そして、「もしこれが起きれば、歴史家たちは今から約30年から50年後に、『中国は、数多くの大国がそうしたように、覇権という地位を求める強大な国家となった』と言うのではないか?」と投げ掛けた。
最後は、日本からの講演者として、青山学院院長で同学院大学総合文化政策学部の梅津順一教授が登壇。演題は「永瀬隆と和解のプロジェクト」で、同学院の卒業生で第二次世界大戦中に東南アジアで日本軍が戦争捕虜を駆り立てて建設した泰緬(たいめん)鉄道の陸軍通訳を務めた永瀬隆という人物を紹介した。憲兵隊による虐待の現場に居合わせて感じた罪悪感に、戦後長い間苦しめられた永瀬氏が、1963年から100回以上もタイへ慰霊と和解の旅を続けた結果、多くの人々の協力を得て和解の輪を広げていった道のりを語った。
その上で梅津院長は、永瀬氏の和解プロジェクトがなぜそのような広がりを持つことができ、なぜ永瀬氏の個人的な慰霊と和解は、かつての敵と味方、征服者と従属者の間に、和解への道を準備することができたのか、について考察。「一つには、永瀬には戦時中から、敵に対する同胞感情を持ち続けたことが挙げられる。それ故に、虐待した日本軍の一員として、自ら直接に手を下したわけではないとしても、強い罪責感を持ち続け、事実、戦後も長い間、戦争捕虜への和解の旅、贖罪の旅を必要とした」と述べた。さらに慰霊の先々で十字架にひざまずき祈ったという永瀬について、「自らの救済、魂の浄化、再生の感情が、その後の永瀬の和解のプロジェクトを強く支えたのではないか」と語った。
一方、その永瀬氏が戦後、平和寺院を建立し、自分自身が得度した事実から「決してキリスト教徒とは言えないものの、永瀬自身は自分がキリスト教の影響を受けたことを認めており、キリスト教と仏教に共通する永遠への思いの下で、和解プロジェクトに従事したといえる。この世における和解は、どのようなものであれ相対的なものに止まるが、真の和解は永遠の愛の下にあることを、永瀬の和解プロジェクトは示唆している」と結んだ。
講演後のパネルディスカッションでは、これら4人の講演者に加えて、青山学院大学国際政治経済学部教授で台湾出身のチェン・ポール氏がホアン教授の原稿についてコメント。チェン教授は、台湾の将来を論じる際には中国の影響下における国際的な現実政治を理解する必要性を認めた上で、「ホアン教授が提示したナショナリズムに照らして安全保障の将来を議論するときには、全体論的な視点を考慮に入れる必要がある」などと語った。