日本キリスト教協議会(NCC)東アジアの和解と平和委員会は、1910年に日本が韓国を併合したのと同じ日である8月29日、早稲田奉仕園スコットホール(日本基督教団早稲田教会、東京都新宿区)で「東アジア合同礼拝」を行った。
この礼拝で「和解の務めに生きる」と題して説教を行った日本基督教団の関田寛雄牧師は、約50人の参加者を前に、近代日本の植民地支配と戦争の歴史を振り返り、「日本政府が行ったこの残虐非道な事態を心より深くお詫び申し上げ」ると述べた。
関田牧師は、1967年に当時の日本基督教団総会議長であった鈴木正久氏の名による「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を一部引用。「この言葉を抜きにして日本の教会がアジアの平和と和解について語る資格はない」と述べた。
「日本の教会の今日的な宣教の課題は、この戦争責任告白の実質化」だと関田牧師。「日本がかつて犯した罪を公に告白し、悔い改め、そしてアジアの諸国・諸教会から許していただくことこそが、和解に向けての最初の課題であると信じる」と語った。
また、「和解とは、単に仲良くなり、交わりを回復するというだけではない。和解とはそれぞれの国が負っている重荷を分かち合うことにほかならない。具体的には、それぞれの国における貧困と差別と対決する闘いに相互に参加するということこそが、和解の条理である。これらの問題にお互い心を尽くして解決のために協力する時に初めて私たちの和解は完成するわけである」と述べた。
そして、「そのことを課題として、これからアジアの諸教会と、主の許しの下、手を携えつつ、新しい歴史の創造に向かって励みたいと思う。第2コリントの5章に引用されたけれども、そこにこそまさに新しい創造がある。New creationがそこに始まる。これこそが今晩のこの集いの意味であろうと思う」と結んだ。
この礼拝は、前奏の後、日本語・韓国語・中国語・英語の4つの言語で行われ、詩編24編1節を招詞として始まった。その後、会衆は『Thuma Mina つかわしてください 世界のさんび』(日本キリスト教団出版局刊)に収められた、「感謝せよ、恵みの神」(中国)を共に歌った。
それに続く祈祷では、日本友和会の飯高京子氏が「神様、どうぞ指導者一人ひとりの心の中にあなたの愛と光を与えてください。どうぞ私たち一人ひとりここに集う者もあなたによって強められ、何とかしてこの東アジアの地に平和を保つことができるよう力を合わせる祈りの礼拝を持たせてください。あなたが最初から最後までこの中に一緒にいてくださり、祝福してくださることを感謝いたします」などと祈った。
その後、聖書から2コリント5:17~19が朗読され、平和をテーマとしたリタニーの中で、『Thuma Mina』26番「すべての人よ 主を賛美せよ」(台湾)が斉唱されるとともに、司式者がイザヤ2:4、マタイ5:9、コロサイ3:15を読み、会衆がさまざまな言語で平和を意味する言葉を唱えた。そして、説教の前には、こどもさんびか140番「みんなでへいわ」を共に歌った。
説教の後、会衆はアッシジの聖フランシスコによる「平和の祈り」を交読し、『讃美歌21』451番「くすしきみ恵み」(アメイジング・グレイス)を共に歌った。
その後、「和解を求めて」と題して祈りと賛美が繰り返された。会衆は『Thuma Mina』214番にある一致と和解の賛美歌「おいでください」(韓国)を歌い、韓国出身の趙顯道氏(龍ヶ崎グレイスチャペル牧師)、金健牧師(在日大韓基督教会関東地方会会長)、許伯基牧師(同関東地方会社会部長)、中国出身のジョン・シュエ氏(カトリック上野教会司祭)、台湾出身の李孟哲氏(日本基督教団東京台湾教会牧師)という4人のゲストスピーカーが、東アジアの和解を求める祈りをささげた。
会衆は主の祈りをそれぞれの国の言葉で祈った後、「主の平和がありますように」と平和の挨拶を交わして握手をし、『讃美歌21』92番「主よ、わたしたちの主よ」を斉唱。祝祷と後奏をもって礼拝を終えた。
礼拝後、NCC東アジアの和解と平和委員会の小泉嗣委員長(日本福音ルーテル千葉教会牧師)が挨拶し、「やはりこの時期に、今日の日本の状況を見て、私たちの委員会がすべきことがあるのではないか。何ができるか、そういうことを考えて、まずは礼拝から始めよう、礼拝に共に集って共に祈る中で、祈りを力に変えていこう、そのような話し合いがなされて、この礼拝が企画された」と説明した。
小泉委員長による挨拶に続いて、4人のゲストスピーカーがそれぞれの思いを語った。
趙顯道牧師は、「信仰の目で見ると、私たちは未来を見ている。神様の大きな働きがあると信じて、ここに集って祈って、神様に願っていると思うので、これが始まりである。続けて祈りができるように」などと述べた。
続いて許伯基牧師は、「日本の社会は本当に大きな転換期を迎えている。たった70年ともたなかった。70年ともたずに、またまっすぐに元通りに帰ろうとしている。同じように、日本のキリスト教会も決定的な時を迎えていると思う。神の義を叫ぶ預言者として、平和を実現する者として、地の塩・世の光としての役割を果たすことができるのか。それとも、また、先の大戦の中で行ったように、世の中の流れに巻き込まれてしまって、また大きな罪に再び手を染めるのか」と問い掛けた。
その上で許牧師は、「いま大きな問題を私たちはたくさん抱えている。原発の問題、憲法改悪の問題、靖国の問題、集団的自衛権、様々な課題があるが、ヘイトスピーチ、外国人憎悪、これに相対すること、これも私たちの使命と思って、ぜひ共に担っていただきたいと思う。でなければ私たちはこの地ではもうこれ以上生きてはいけない」と語った。
また、ジョン・シュエ司祭は、「はっきり申し上げたいのは、私は誰もが平和を愛していると信じているということ。私たちは世界だけでなく家族や地域社会、そしてとくに私たち自身の平和を望んでいる。平和について2つに分けて話すと、1つ目は、世界が平和になるためには、私たちはまず自らの心の中に平和がなければならない。私たちの心の中に平和と愛があれば、社会も世界にも広がっていく。2つ目に、小さく短い祈りが大切。私たちが最善を尽くしても、私たちに何もできない時、主がそれを完遂してくださる。そうすることで、アジアは平和になるだろう」と述べた。
李孟哲牧師は、「いまなぜ世界に平和がないのか。それはだれもが自己が強すぎて、自分こそ一番だと思っているからだ。私たちは信仰に立ち返ることで初めて平和を体験できる。パウロの言うように、古い自分を捨てて、神様に変えられ、主のうちにあって謙虚になり、新しく創られた人となれるように、人と人の間に平和な関係を築ければ、国と国の間は自然と暴力が収まり、平和な関係を築くことができる」と話した。
そして、李牧師は、「ただ、どうすれば人と人の間に敵意をなくし、よりよい信頼関係を築くことができるのか。いまやらなければならないことは、切に祈ることだ。主に私たちの平和を証す方向を示していただくのだ。そして共にアクションを起こそう。抽象的なことから具体的なことへ変えるのだ。まさにイエス様の言っているように、教えの通りにやりなさい。主が私たちを引き続き導いてくださるように」などと語った。
司式者の飯塚拓也牧師(日本基督教団竜ヶ崎教会)は、「昨年の関東教区の総会で、関東教区『日本基督教団罪責告白』を可決した。なぜ日本の教会が無自覚的に国の政策にそのまま流されていったのか。日本基督教団の成立にまでさかのぼって、やはり事実を確かめていくべきだということで、10年以上かけて取り組んできた。その中ではっきりとしてきたことは、やはり日本の教会は言うべき時に声を上げなかった。むしろある時は喜んで国の戦争に協力をしていった。それが本当に克服されなければならないということだ」と述べた。
「私たちは祈りながら、それぞれの場所で、それぞれのできることとして、やはり平和と和解に導かれて歩みたい」と、飯塚牧師は話した。