インドのナレンドラ・モディ首相は17日、デリーにあるキリスト教組織に対する襲撃を強く非難し、「政府はいかなる宗教団体も嫌悪を煽動することを許さず、いかなる宗教的暴力に対しても力強く行動する」と述べた。モディ首相はまた、全ての宗教団体に対し、「自制と互いの尊敬をもって行動するよう」訴えた。インド・クリスチャントゥデイが同日報じた。
インドの連邦政府は、キリスト教やイスラム教など、同国の少数派の宗教に対して排他的な、ヒンズー民族主義者の指針を支持していることで知られている、インド人民党(BJP)によって主導されている。
モディ首相は、首都ニューデリーのビグヤン・バワンで聖クリアコセ・エリアス・チャバラと聖マザー・ユーフレイシアという2人のインド人が聖人とされたことを祝うために、サイロ・マラバル・カトリック教会が主催した祝典で語った。この2人のインド人は、ローマ教皇フランシスコによって昨年12月に列聖された。
モディ首相は、教会に対する襲撃に強く反対し、「われらの政府は、多数派であれ、少数派であれ、いかなる宗教団体もひそかに、または公然と嫌悪を煽動することを許さない」と語った。また、「どの宗教にも真理はある。わが政府は完全な信教の自由があるよう保障する」と述べた。
2人のインド人が列聖されたことを祝って、モディ首相は「聖クリアコセと聖マザー・ユーフレイシアの生涯は、キリスト教社会だけではなく、人類全体にも感銘を与えるものだ。この国全体が彼らの昇格を誇りに思っている」と語った。
モディ首相はまた、「母なるインドは多くの霊的・宗教的聖人を生み、その一部は国境を越えた。彼らを歓迎し尊敬を示す伝統は、インドと同じく長い」と言い、「私は全ての宗教団体に対し、自制と互いの尊敬をもって行動するよう訴える」と付け加えた。
仏陀とマハトマ・ガンジーを引き合いに出し、モディ首相は「宗教的寛容は全てのインド人のDNAのうちにあるべきだ。宗教は個人的な選択の問題である。われわれは誰も嫌悪を広めるのを許さない。インドは世俗的でありつづける」と語った。
インドのヨガ指導者、ヴィヴェーカナンダの言葉を引き合いに出し、モディ首相はこう語った。「われわれは全ての宗教が真理であることを受け入れる。全ての宗教の平等な尊敬と扱いというこの原則は、何千年もインドのエートスの一部となってきた。そしてそのようにしてそれは、インド憲法に不可欠な部分となったのである。われわれの憲法は空白の中で出てきたのではなく、インドの古代文化と伝統の中に根ざしているのである」
「ラビンドラナート・タゴール(インドの詩人)は、心に恐れがなく、頭が高く上げられるところで、私たちに感銘を与えてきた。それは自由の天国であり、そこでわれわれは、それを創り保つという義務を負っている。われわれは全ての宗教に真理があると信じる」
モディ首相は世界中の宗教的不寛容について述べ、「世界には宗教をめぐる分断や敵対関係がますます見られるようになってきている。これは地球規模の問題となってきた。この文脈において、古代インドが全ての宗教の互いの尊敬を示していたことは、地球規模の論議でも顕在的である」と語った。
また、長いこと感じられてきたこの必要性と諸宗教の相互の尊敬への強い要求が、2008年12月にハーグで開かれた人権を信じる諸宗教間会議へとつながったと付け加えた。偶然にも、それは国連による世界人権宣言の60周年記念でもあった。
「キリスト教、ヒンズー教、ユダヤ教、仏教、バハイ教、イスラム教、道教、そして先住民族の諸宗教といった、どの主要な世界宗教を代表する宗教指導者たちも討論し、世界人権宣言と信教の自由を支持することを誓った。この歴史的な宣言において、彼らは信教の自由を構成するものとは何か、そしてそれがどのようにして守られるべきかを定義したのである」とモディ首相は言い、「誰もが、強制や不当な影響なしに、自らが選んだ宗教を持ち、あるいは取り入れるという、否定できない権利を持っている」と述べた。
アルン・ジェートリー財務大臣もその場で発言し、教会に対する襲撃事件を強く非難して、「インドには、これらの事件や人々の居場所はない」と述べた。
モディ首相は先に、デリー警察のB・S・バッシ署長を召喚して近況を報告させ、内務大臣を通じて、首都にある教会や学校に対する全ての襲撃を調査するための単一のチームを組織させていた。
モディ首相が教会に対する襲撃を公然と強く非難したのはこれが初めて。
一方、インドのキリスト教ジャーナリストであるアント・アッカラ氏は18日、英文ニュースメディア「ワールドウォッチ・モニター」で、「インドのモディ、少数派の保護について沈黙を破るも、『言葉を行動で証明する』よう強く求められる」という見出しの記事を執筆した。
それによると、批評家たちは、17日にニューデリーで開かれた教会の大きな催し物で演説したモディ首相が、信教の自由に対する権利をきっぱりと主張し、キリスト教徒に反対する暴力や宣伝の続発について自らの沈黙を破ったことに、「喜びをもって驚いた」という。
しかし、モディ首相の姿勢を称賛しつつも、キリスト教徒たちや世俗の運動家たち、そしてメディアの間の雰囲気は、「言葉を行動で証明する」ようモディ首相に強く求めるという点で一致したままであると、アッカラ氏は報じた。