呼び名
僕が高校生としてhi-b.a.に参加していた時(60年前)から、スタッフは高校生に「~先生」ではなく「~さん」と呼ばせていた。宣教師も同様にサン付けである。60年経った今も変わらない。諸教会の牧師には理解しがたいようだ。1994年に開かれたビリー・グラハム国際大会の折、会場である東京ドームの廊下で一人の牧師と話していたら、hi-b.a.の女子高校生が3人で通りかかって僕を見るなり「あ、吉枝さーん」と呼びかけた。牧師は急に表情が変わって「吉枝先生でしょっ」と叱るように言った。その牧師が遠くに行ってしまってから、先生には申し訳ないけど僕たちは笑ってしまった。高校生会の指導に牧師が当たらなければならない場合は、牧師が高校生にさん付けで呼ばせるのは困難だろうけど。
僕が以前所属していた教会の牧師が、そろそろ按手を受けたらどうですかと勧めてくれた。良い機会と思って、神学論文と釈義論文の2つの論文を、毎日集会が終わって帰宅後に、夜もほとんど寝ないで書き上げた。審査をパスして面接を受け、牧師(正教師)としての按手を受けたのは、1977年のことだった。晴れて先生と呼ばれる身になったわけだが、教会内での呼び名が協力伝道師から非常勤牧師に変わっただけで、特別な変化はなかった。最初から牧師の資格を持っていたら諸教会の牧師との付き合い方も変わるかも、と期待して取り組んだことだったので、これで満足だった。
ある時僕が担当したhi-b.a.柏集会では、だれもが「枝さん」と呼んだ。家に高校生から電話がかかってきて、「枝さん、呼んでください」と言われたときなど、妻は良かったけど、娘は「うちに枝さんなんていたっけ?」といぶかった。一人の女子高校生は、さんを略して「えだぁ」とだけ呼んだ。「これはあたしだけが言えるんだよ。他の人は言っちゃだめ」と言って親しさを強調していた。脳梗塞で倒れた時には、彼女のくれたお見舞いカードに書かれていたエレミヤ書29:11「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」によって、動けなかった時に、主がくださる今は見ていない将来を、希望を持って待ち望んだのだった。
hi-b.a.で企画して、数人ずつの高校生を僕が引率して「韓国・歴史と信仰ツアー」を実施したことが、1996年の春休みと2001年の夏休みとの2回あった。妻も引率の補佐をし、神学生を補助とした。当然高校生たちは僕を「吉枝さん」と呼んでいたが、通訳と道案内のために同行をお願いした一回目には、韓国からのキャンパスクルセード宣教師、趙泳相(チョ・ヨンサン)先生と、二回目には韓国からのhi-b.a.宣教師、安富子(アン・ブジャ)さんとは高校生たちに、「韓国に行ったら、吉枝さんなんて呼んじゃいけないよ。忘れずに必ず吉枝先生と呼びなさい。韓国では牧師先生は絶対的に敬われているんだからね」と強くクギを刺された。ほとんど仕損じはなくみんな立派にやり遂げてくれた。そういうものかと改めて納得した。
そうは言っても、高校生伝道ではやはり、さん付けが親しみを持てて良いようだ。先にも書いたが、牧師が高校生会のリーダーをする場合などは無理があるかもしれないが、大学生や青年たちがリーダーをして先生と呼ばれることを望むようになったら、それは堕落だ。肩書だけで偉くなったように思わないことを望む。今、協力牧師をしている同じ教会に、昔僕のhi-b.a.集会の生徒だったH兄弟がいるが、年齢は60台半ばで、顔を合わせれば僕を「吉枝さん」と親しく呼びかけて、昔の友達の消息や昔話に花が咲く。他の教会員たちには奇異の目で見られそうだが、本人たちはごく自然にそうしているのだ。
元スタッフだった有名牧師を訪問した時にも、僕は自然にさん付けで呼んでしまう。あちらも訂正しもせず、昔のままに受け答えしてくれる。偉い先生をさん付けで呼ぶなんて、hi-b.a.卒業生の特権だと思う。
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吉枝隆邦(よしえだ・たかくに)
hi-b.a. (ハイビーエー、高校生聖書伝道協会)にて42年間働くも、突然脳梗塞で倒れ5カ月間入院。8カ月後には説教者として再起し、今も情熱を持って福音(神様からの良い知らせ)を語り続けている。