上智大学元学長のヨゼフ・ピタウ大司教が26日夜、東京都練馬区内の施設で脳幹梗塞のため帰天した。バチカンのローマ教皇庁が発表した。86歳だった。
ピタウ大司教は病気療養中で、同区にある高齢聖職者向け施設ロヨラハウスで暮らしていた。来年1月14日にイエズス会と上智学院の共催により、聖イグナチオ教会主聖堂(東京都千代田区)で、葬儀ミサ・告別式が執り行われる。
同じイエズス会に所属する教皇フランシスコは、イエズス会のアドルフォ・ニコラス総長に宛てた弔文で、「福音のために模範的に司祭職を生きた」と、ピタウ大司教を思い起こした。
また、同学院は、ピタウ大司教逝去によせて、「本学の教育精神である "Men and Women for Others, with Others(他者のために、他者とともに)" を体現された」などと、その業績をたたえ、哀悼の意を表す以下のコメントを発表した。
ピタウ大司教は、教育者・経営者として本学の発展のために尽力されました。理事長として大学紛争収束に向けた機動隊による学生バリケードの解除や大学封鎖など、当時としては先駆的な対策を取り、時代の流れを読んだ大胆な決断によって、本学をその後の飛躍へと導きました。また、学長時代には、当時悲惨な状況下にあったインドシナ三国の難民の救護活動を実施することを日本の大学として初めて決定。自ら街頭に立ち募金活動を行ったことは、多くの学生・教職員たちによって現在まで語り継がれています。
ローマに移られてからもバチカンとイエズス会の重職の傍ら、本学をあたたかく見守り、時に育て守ってくださいました。国内外との交流を積極的に推進し、日本と世界の橋渡しとして活躍された功績は大変に大きく、本学のグローバル化および発展の基礎を築かれました。
本学の教育精神である "Men and Women for Others, with Others(他者のために、他者とともに)" を体現されたピタウ大司教。深く哀悼の意を表するとともに、常に学生に寄り添い、彼らを愛したピタウ大司教の想いを引き継ぎながら、教職員一同はこれからの大学改革に取り組んでいく決意を新たにいたします。
ピタウ大司教はイタリア・サルデーニャ島生まれ。スペインの大学を卒業後、イエズス会宣教師として来日し、同大で神学修士号、ハーバード大学で政治学博士号を取得。同大法学部の助教授、教授、学務部長を経て39歳の若さで学長を務めた。
教皇ヨハネ・パウロ2世(当時)の要請で1981年にバチカンに戻り、ローマ教皇代理補佐に就任。教皇庁立グレゴリアン大学学長、教皇庁科学アカデミー事務総長などを歴任し、退官後の2004年に再来日した。著作と勲章の受章も多い。