カトリック東京大司教区の岡田武夫大司教と、フランス在住の比較文学史家、竹下節子氏が「日本の福音宣教を考える」をテーマに11月27日、幼きイエス会(ニコラ・バレ)で対談した。カトリック信徒ら約150人が参加。宗教的な土台が希薄な日本にあって、いかにして歴史あるカトリックの教えを伝えていくかという命題に、フランス在住歴が長く、自身、フランスで結婚後に受洗したカトリック信徒でもある竹下氏が、氏ならではの感性やフランスでの経験をもとに提言し、岡田大司教も聴衆もそこからヒントを探ろうと、熱心に耳を傾けた。
司教、司祭、引退司祭、神学生らのために祈りの輪を広げるとともに支援活動を行う、カトリック東京大司教区アレルヤ会(森脇友紀子会長)の主催。同会は年に一度、こうした講演会などを企画しており、今回は、岡田大司教の強い希望で、月刊『カトリック生活』に「カトリック・サプリ」を連載中で、『ユダ—烙印された負の符号の必性史』(中央公論新書)などの著書のある竹下氏との対談が実現した。
話はまず、2人がどのようにして教会、カトリック、そしてキリストと出会ったかを述懐することから始まった。岡田大司教は「あの戦争が終わり、私の故郷だった千葉の山奥にまでプロテスタントの宣教師がやってきて、無料で聖書を配り、映画会を開いたりしていました。ある映画で鳩がバタバタと一斉に飛び立つ場面を見たことを今でも鮮明に覚えています」と、戦後間もなかった少年時代を回想した。
大学時代にプロテスタントの洗礼を受けたものの、「いろいろあって(教会に)行けなくなった。遠回りして大学も入り直しました。渋谷の教会で熱心に信仰生活を送っていた時期もあったが、牧師と議論になってどうにも納得できなかった。そのころ、イエズス会の司祭と出会ったのが運のつきでカトリックに改宗し、就職した会社も辞め、神学校に入って司祭となりました」と、紆余曲折を経て大司教となった信仰の歩みを振り返った。
一方、24歳で日本を離れ、フランスに住んで約40年になるという竹下氏は、日本での大学時代、何人かのフランス人神父に影響を受け、「文化としてのカトリック、キリスト教に興味はあった」ものの、一般信徒との関わりはなく、「キリスト教徒というと、非常に真面目で、冗談も言えない。日本人として普通のスタンスを持っている人からすると、近づき難いというイメージがあった」と告白した。そんなとき、大学の同級生だった哲学家の中沢新一氏から「日本の尼さんについての論文を探している」というフランス人女性の手助けをするよう頼まれ、「それが縁で、その女性のお兄さんと結婚することになったんです」と笑った。
彼らの住む地方はフランスでもベルギーとの国境に近く、「カトリック以外の環境がない」ところで、日本の氏神と氏子のように、教会が村の共同体とセットになっていた。多くの人は生まれてすぐに洗礼を授かり、カテキズムを受けて初聖体を迎える。ただ、それが終わったら教会に行かなくなり、そのまま離れていく人も多い。竹下氏の夫もそうした一人で、普段は教会に真面目に通っているわけではなが、「結婚式は教会で挙げることが重要。もしも事故などで最期を迎えなければならないことになったら、もちろん司祭を呼んでほしい」と考える「第二バチカン公会議以前のカテキズムが刷り込まれているような人」という。
竹下氏自身も第二子となる長女が幼児洗礼を受けるときに一緒に受洗。「その地方ではそれがマジョリティーでしたので、みんなも喜んでくれました。これであなたは村の子、とコミュニティーに受け入れられた思いがした」という。
フランスでは珍しい成人洗礼を授かった竹下氏だが、幼児洗礼の長男と一緒にカテキズムを受け、最初の時間に「『キリスト者の生活というものは、他者の生活をより快適にするように努力すること。それだけを目的にしていればいい』と教わったという。「その言葉に非常に感激しました。全ての大人、全ての子どもがそのために努力すればこの世から戦争もなくなる。単純に、素晴らしいことだと思ったんです」と、自身とカテキズムとの出会いを振り返った。
また、フランスではカテキズムの講師は信徒がボランティアで行っていることも「すごく大事なこと」と言う。初聖体が終わると、教会へ行きカテキズムを学ぶのを嫌がり始める多くの子どもたちと同じように、「僕ももう行きたくない。だって神を信じていないから」と言い始めた長男に対し、「『カテキズムの最初の時間に言われたことを覚えてる?神を信じなさい、なんて言われなかったでしょう?あなたが教会に行くのをやめると彼女(カテキズムを教える女性)は悲しむんじゃない?それでもいいの?』と言ったら、彼は『分かった』と、その女性が引っ越すまでは通いました」と懐かしそうに笑った。
子どもたちは中高とカトリックの一貫校に通ったが、その学校がいちばん大切にしていたのが、「友達同士、みんなを好きになれとは言わないけれど、絶対にリスペクトしなければいけない。そこだけは譲れない。全ての友達を敬え」ということで、「いちばん伸びしろの多い子ども時代に、こうしたカテキズムを通じて生き方の軸を刷り込む、ちゃんと言葉にして刷り込む、ということはものすごく大事だと思います」と強調した。
「日本でも『強きをくじき弱きを助ける』という言葉があるように、人間は、いちばん弱い赤ちゃん、子どもを守らなければ続かない。非常にシンプルだけれども、自分より弱く、小さい、困っている人に手を差し伸べることはいちばんの基本。小さいときにそういうことを刷り込まれていないと、大人になったとき、それが軸となっていきてこないと思うんです」と、幼年期から生きていく上での姿勢を伝えることの大切さを訴えた。(続く)