今年で46回目を迎える「日本伝道の幻を語る会」が18日から3日間、千葉県市川市にある山崎製パン企業年金基金会館(市川サンシティ)で開催された。19日午後に行なわれた「ファミリーアワー」と題した集会には、藤井圭子氏がメッセンジャーとして招かれた。小児科医であり、また尼僧からキリストを受け入れ受洗したという藤井氏は、著書も多く、キリストの証し人として日本国内はもとより世界各国でも用いられている。
この日のメッセージは、ハンセン病患者がいる病院で出会った男性の証しから始まった。説教の奉仕を行った藤井氏がある患者から受け取ったCD。その中には彼が作ったという曲が収められていた。目が見えない、手も足も不自由な彼が作った詩とは・・・。「ぼくの目が見えなくなったのは、あなたの御心でした」で始まる美しい調べの歌を、「私、もう声が出ないので、超低音ですが・・・」と笑みを浮かべ、賛美する藤井氏。「よく病にかかると、『先祖の祟りだ』とか『お水やお経をきちんとあげないから、ご先祖が怒っている』という人がいます。先祖が自分の子孫のことを呪うことなんて、本当にありうるでしょうか?先祖は子孫のことを心配することはあっても、呪うことなどないと思うのです」と語った。
また、「弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか』。イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」(ヨハネ9:2〜3)の御言葉を引用。「イエス様は、聖書でもいわゆる『因果応報説』を覆しているのです。主は、この賛美を作った患者さんにも生きる勇気を与え、賛美を作る賜物を与えられ、御言葉を広めるよう、彼の器を用いられたのだと思います」と藤井氏が話すと、会場からは「アーメン」の言葉が。この男性は、幼少期にハンセン病を発病して以来、両親、兄弟、友達からも引き離され、療養所に入所したが、イエスの慰めによって、喜び、歌い、望む者になったのであった。
次に藤井氏は、自身の長男である研太さんについての証しを語った。誰にでも優しく、趣味も多く、たくさんの友人がいたという研太さん。母と同じく医学を志し、1998年には医師国家試験に合格。内科医として歩み始めていた。その研太さんが26歳のとき、突然天へと召されていった。事故だった。召天後2日間、「研太、研太」と心の中でずっと叫んでいたという。そんな時、創世記の有名な場面、罪を犯したアダムとエバを神が探し、「あなたはどこにいるのか?」と呼ばれた箇所を思い出した。「罪を犯した者でさえ、懸命になって探しておられた神様は、どれだけ必死だったでしょう?私は、呼んでも、叫んでも返事をしない息子を探していたときに、この箇所を思い出しました」と藤井氏は語った。
聖書には、「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」(伝道の書3:11)とある。どんなに若いうちに愛するわが子が天に召されても、神のなさることは「時にかなって美しい」と藤井氏は断言する。また「人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」とその後に続く御言葉にも注目し、「私には、計り知ることのできない神様のご計画があるのです。初めから終わりまで見極めることなんて到底できません」と続けた。
研太さんが召天してから2カ月、あまりの驚きと悲しみに眠ることができなかった。すると、夜中に台所に行き、なるべく長く時間のかかる煮物などを丁寧に作った。何かに集中していたかったのだ。夜明けに、少しだけ眠るとまたクリニックでの勤務に向かった。人はよく「時間が解決する」というが、本当にそうだろうか?藤井氏は「そうではない。主が用意してくださった周囲の人々を通して、あらためて主の愛を知り、それが私を癒してくれたのです。神は愛なのです」と話す。
また「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」(マタイ5:4)の聖句から、「人は、悲しまないようにと生きているはずなのに、どうして(悲しむ者が)幸いなのでしょう?それは、この後半にあるように慰められるからなのです。子どもがお外でいじめられて帰ってきたとします。お母さんが両手でいっぱい抱きしめてやれれば、それだけでその子は幸せなのです。イエス様は、愛する者を失った者のそばにいてくださり、一緒に泣いてくださいます。そして慰めてくださいます」と話した。
愛する者を亡くし、「私は息子に十分優しくしてやれたか?どうして、息子が事故に遭ったとき、自分がそばにいなかったのか?そばにさえいてやれれば・・・」と自責の念にかられたこともあった。しかし、主なる神は藤井氏にはっきりと示した。「なぜなら、おまえは神ではないから」と。藤井氏を通して主の愛に触れた会衆は、聖歌622「夕べ雲焼くる」を共に賛美し、集会は幕を閉じた。