【CJC=東京】米国とキューバが外交関係再樹立に向かう決定をした蔭に、50年にもわたるバチカン(ローマ教皇庁)の外交努力があった。
制約があるとは言え、キューバではカトリックが主要宗教。米国がキューバへの禁輸政策を続ける中でも、教会としては、米国の司教などがキューバを訪問、「事実上」橋渡し役を務めてきた。またバチカン自身も和解工作を進めてきた。そのハイライトが1984年、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世がキューバに隣接するプエルトリコを訪問したことだった、と米カトリック通信CNAは見ている。
バチカンは1935年にキューバと国交を樹立した。キューバは、バチカンが外交関係を断絶しなかった唯一の共産主義国だった。
米国は61年に関係を断絶しており、62年10月のミサイル危機に際しては、教皇ヨハネス23世が戦争回避のためにジョン・F・ケネディ大統領とニキタ・フルシチョフ第一書記に書簡を送っている。
米国司教のキューバ司教との接触も続いていた。72年、米国司教協議会は、禁輸撤回を要請するキューバ司教を支持、そして85年に両国司教協議会は相互訪問を行った。
80年代には、ボストン大司教区が、米・キューバ関係に活発な働き掛けを行った。大司教のバーナード・ロー枢機卿はキューバとの外交関係樹立を強く支持、禁輸撤回を主張した。枢機卿は85年と89年にキューバを訪問、その都度、フィデル・カストロ国家評議会議長と会見している。ボストン大司教区は、独自のキューバ援助計画も開始した。
バチカンとキューバ間の関係修復の動きの中心は、当時の正義と平和評議会議長ロジャー・エチェガレイー枢機卿だった。89年に初めてキューバを訪問した際には、クリスマスと元日を含め9日間滞在、フィデル氏とも親密な会談を行った。会談は、キリスト者とユダヤ教徒を30年にもわたって抑圧して来た「無神論国家」の政教関係に新たな局面を開くものとなった。
会談の間、フィデル氏は教皇を歓迎する熱意を隠すことはなかった。それは国際的に弱まってきた自分のイメージを盛り返そうとしていたことと、ヨハネ・パウロ2世が軍備縮小、第三世界の負債と貧困といった世界の非宗教的な問題の多くに関して自分と意見が一致すると思っていたためと見られる。
93年12月にも、枢機卿はフィデル氏と会見している。
キューバの司教は「愛はすべてのものに耐える」というメッセージを公開したが、それは体制に対する教会のアプローチ転換を示すものだった。
司教たちは、カストロと反対勢力双方に、米国に追放された政治亡命者問題、平和的な国民再融和へ向けての政治対話開始を提案した。このメッセージはエチェガレイ枢機卿とフィデル氏の間に行われた対話の主要問題の一つで、双方が、平和、和解、米国の規制終了の支持を強調した。
フィデル氏がカトリック教会に対する姿勢を変えたのは、それ以後のことと推測される。同氏は、キューバの将来に関する話し合いのための信用できるパートナーとしてバチカンを認めるようになり、教会への規制を弱めた。
ヨハネ・パウロ2世は、キューバとの極秘交渉を支持した。交渉は1990年代初めに実行に移され、バチカンとキューバ当局者の間のハイレベル会議を通して進められていた。
94年7月12日、当時の司教省長官ベルナルディン・ガンティン枢機卿が、キューバの教皇庁使節館でフィデル氏と個人的な会談を行った。会議の後、フィデル氏は使節館でハイメ・ルカス・オルテガ・イ・アラミノ大司教と2時間にわたって会談した。同大司教は10月にはヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命されている。事実上、「革命」後初のキューバの枢機卿とフィデル氏が話し合ったことになる。
ローマに戻ったガンティン枢機卿はキューバの宗教状況の改善についてヨハネ・パウロ2世に報告、フィデル氏が教皇訪問を十分に歓迎すると語った。
96年に、フィデル氏は、バチカンでヨハネ・パウロ2世と会見した。これが98年にヨハネ・パウロ2世の歴史的なキューバ訪問につながった。
ハバナに到着した最初の教皇として、ヨハネ・パウロ2世は「キューバは自らを世界に開く必要がある。また世界はキューバに近付く必要がある」と語った。
その10年後の2008年、バチカン国務長官のタルチジオ・ベルトーネ枢機卿がヨハネ・パウロ2世訪問10周年記念を祝うためにキューバを訪問、フィデル氏に代わって政権を握ったラウル・カストロ氏と会見した。
ジャーナリストとの会談で、ベルトーネ枢機卿は「ドアを開ける機会が来たようだ。ラウル氏は、人々が得られないもの、またその願いなどを十分把握している」と強調した。
2012年のベネディクト16世の訪問は、世界にキューバが開かれたことを示すものとなった。ベネディクト16世は、米国に対キューバ制裁の解除を求めた。ラウル氏はしばしば教皇の側に姿を見せたが、それはキューバの存在を強調し、教皇訪問の重要性を示すという願望の現れでもあった。
米国とキューバが外交関係再樹立に向かう決定をするまで50年間のバチカン外交の成果の上に教皇フランシス教皇は今「物語」の主役になった。
バチカンは12月17日、今年10月に両国代表団を迎え、詰めの協議をしたと明らかにした。
バチカンが発表した声明によると、教皇フランシスコはオバマ、ラウル両氏に書簡を送り「両国関係を新たな段階に進めるため、特定の収監者の状況を含む人道的な問題を解決するように」と呼びかけていた。「特定の収監者」はキューバで拘束されていた米国人のアラン・グロス氏らを指すとみられる。
10月の協議では「両国が受け入れ可能な解決策に達した」。バチカン声明によると、17日に78歳の誕生日を迎えた教皇フランシスコは米国とキューバの「歴史的な決断」を歓迎した。オバマ、ラウル両氏も、共に教皇に謝意を表明した。