無神論者である大学教授の挑戦を受け、神の存在を証明するために立ち上がる学生を描いた、日本でも来月に公開を控える話題の映画『神は死んだのか』(原題:GOD'S NOT DEAD)に、宗教学者たちがコメントを寄せている。
神学博士の高尾賢一郎氏(上智大学アジア文化研究所・共同研究所員)は、本作品の根底に流れる、「『信仰を持つ / 持たない』ことがどのような意味を持つのか」という普遍的で素朴な疑問について考えさせられたという。
高尾氏によれば、「『持たない』人にとって、『持つ』ことが意味するのは、偶然を必然と捉えることだと言える」といい、「偶然起こった宇宙の誕生や自然災害が、神が意図した必然の出来事として理解され、『ツイてる / ツイてない』で済む日常の出来事が、褒賞や罰として理解される」のだという。
このような有神論者の立場に対し、「訪れた幸福や不幸の全てを偶然か必然かで受け入れられるわけではない。血のにじむような努力の末、司法試験に合格した『持たない』人に対して『ツイてますね』と言うことや、突然の事故で家族を失った『持つ』人に対して『神の思し召しです』と言うことは、相当な信念か無配慮のなせるわざであろう」と、高尾氏は述べている。
文学博士の岡本亮輔氏(東京大学死生学・応用倫理センター)は、高尾氏がいうようなキリスト教の神における必然性を、「キリスト教の神の強さ」と表現する。
日本で一般的な神道や仏教の神々や仏と比較し、大事なイベント前の願掛けや、冠婚葬祭のときだけ召喚される存在ではなく、キリスト教の神はこの世の全てを作り上げ、この世で起こる全てのことをコントロールする全知全能の存在であり、「幸福な出来事だけを感謝すれば良い存在ではない」と述べる。
本作品の中でも、登場人物たちにさまざまな病やトラブルが降りかかるが、それらの災難の全てを神の意図したこととして受け止めなければならないと指摘する。信仰を持って生きている人にも悲劇が訪れる現実的な描写から、「なぜ神がいるのにこの世に悪があるのか、悪があるにもかかわらず、なぜ、神を信じなければならないのか」という古典的な問いが想起されたという。
確かに、本作品は「無神論と有神論の対立」を軸に話が進められていき、無神論者やキリスト教徒でない人々の抱えるキリスト教へのさまざまな問いに正面から切り込んでいる。しかし、その対立や問いから浮き彫りになる、キリスト教の「神の愛」のメッセージを、日本人の観客のうちどれだけの人が受け取れるかどうかが、重要なポイントになってくるように思われる。
本作品は衝撃的なクライマックスで幕を閉じるが、最後の場面を見てハッピーエンドだと思えるかどうかが、この映画の一番のメッセージだと思えてならない。人間の目から見れば、不幸な人に対して「神の思し召しです」と言うことが無配慮なように感じられても、神の目から見たらそれは悲劇なのか。キリスト教が語る絶対神の下での、善悪、幸不幸の価値判断そのものの理解が求められているのではないだろうか。
劇中で何度も繰り返される「God is good all the time, and all the time God is good」というセリフが大きな意味を持っていることを意識しながら、ぜひこの映画を観てほしいと思う。
映画『神は死んだのか』は12月13日から、ヒューマントラストシネマ有楽町&渋谷ほか、全国で上映される。