関西地区三浦綾子読書会交流会が3日、大阪府大東市にある単立・野崎キリスト教会で開催された。
全国で続々と増え続けている三浦綾子読書会。普段はなかなか交わる機会のない他の読書会メンバーと、共に恵みを分かち合い、祈り合うひと時を持とうと企画された。テーマは「河内キリシタンの足跡を訪ねて」。全国三浦綾子読書会主講師の正田眞次牧師と共に、『野崎観音の謎―隠れキリシタンの寺か!?』『河内キリシタン人物伝』などの著書がある、野崎キリスト教会の神田宏大牧師が講師を務めた。
交流会はなごやかな雰囲気のもと、賛美と祈りでスタート。正田氏は、三浦綾子の作品『細川ガラシャ夫人』を取り上げ、執筆当時の時代背景や創作秘話と共に、この作品の魅力を詳しく語った。
正田氏によれば、この作品は1973年(昭和48年)1月から75年(昭和50年)年5月まで、月刊誌『主婦の友』に連載されたもの。三浦綾子はこの作品で、「苦難を試練として受け止める」というテーマを描いた。このテーマはその後の作品へと引き継がれていく。
三浦綾子は、時代に翻弄された悲劇の女性、細川ガラシャの生涯に、かつて日本が戦争へ向かっていった時代、「私」や「自由」「自立」といったものをつぶされ、愛する夫や息子を戦地へ送らざるをえなかった女性たちの悲しみを重ねたのではないか、と正田氏は語った。
続いて神田氏が、大東市と四條畷市の市境にある飯盛山山麓の河内地域にいたキリシタンについて説明した。現在、5月頭に開催される野崎参り。大東市野崎にある福聚山(ふくじゅさん)慈眼(じげん)寺(=野崎観音)で江戸時代から続く行事だ。表向きは無縁経参りとされているが、かつては4月1日から8日のイースターの時期に行われた、八幡山で処刑された殉教者を忍ぶ祭典であったという。
神田氏によると、1605年当時、日本のキリシタン人口は75万人とも言われており、この時代、河内はキリシタンの一大聖地で、大東市と四条畷市では、実に住民のほぼ100%がキリシタンだったという。やがて迫害が起こると、彼らの多くは隠れキリシタンとなり、ひっそりと信仰を守り続けた。その史跡が今もこの地に残っている。
高山右近や黒田官兵衛といったキリシタン大名や、細川ガラシャなどの信仰を持った女性たちが、権力者のそばを取り囲んでいた戦国時代。神田氏は「キリシタンを知らないと、戦国時代の歴史は語れない」と話した。
その後、2人による講演後には昼食を挟んで、神田氏の案内で、河内キリシタンの史跡として、十字架が隠された梵鐘(ぼんしょう)や、キリシタン大名・京極高知が寄贈した手水鉢などを見て回った。