戦国時代のキリシタン大名として知られる高山右近(洗礼名:ユスト=「正義の人」の意)が来年、没後400年を迎えることを記念し、生誕の地である豊能町などは、来年までに町特産の御影石を使って右近夫妻の石像を作る。
右近の妻・高山ジュスタも豊能町余野の出身で、豊能町や同町観光協会などが実行委員会を設立。「夫婦そろって豊能町の生んだ人物であることをこの石像建立によって全国に発信する」としている。建立予定場所は、町立高山コミュニティセンター「右近の郷」。石像は高さ2メートル近くで、地元産の高品質な黒御影石が使われる。
高山右近(1552~1615)は、安土桃山時代の優れた武将であり、茶道にも通じた教養人として誉れ高いが、何よりもキリスト教信仰を第一に貫いたクリスチャンとして有名だ。父である高山飛騨守の影響を受け、12歳で洗礼を受けた右近は、熱心に布教活動を行い、同時代を生きたキリシタン大名の蒲生氏郷や黒田官兵衛などにも多大な影響を与えた。
明石城主として生きていた右近だが、豊臣秀吉のキリシタン布教禁止令により、状況は一変。明石城主を捨て、キリスト教をやめれば領土を与えるという秀吉の勧めも受け入れず、各地を転々とする。1614年、徳川家康の大禁教令により、右近ら一行148人はフィリピン・マニラに追放となり、手厚く歓迎されるが、翌年、マニラで没した。
高山右近の列福(カトリックの福者に認定されること)を目指す動きは、右近が没した17世紀当時から始まっているが、現在運動を行っている「ユスト高山右近列福推進委員会」は、2015年の逝去400周年に合わせて列福されることを目指している。
今回建立される石像は来年中に完成する予定で、町では、年間を通して高山右近に関連したイベントを年間催す予定だ。