さらに、ヴォーリズの妻満喜子が創設した近江兄弟社学園の理事長である池田健夫さんに話を聞いた。
「私は、子どものころ奥さんの満喜子さんに直接教わったんです。とても怖い先生でね。近所で悪さをした次の日、教室で『神様の前で間違ったことをしていないと言えますか』と言って、私一人立たされたりしてました(笑)。でも本当に親身な先生で、足をけがしたとき、終戦後すぐでろくに近くに医者もいないときに、両親と一緒に病院を探してくれて連れてってくれた。だから今でも無事に歩けるんですよ」
そして、写真を見ながら、怒られた当時のいたずらっ子のような表情で続けた。
「あんなに怒られてばかりだった悪がきだった僕が、理事長になっちゃっていいのかなぁ・・・(笑)」
池田さんによると、ヴォーリズ夫妻は、地元の不良や愚連隊が近所で騒いでいると、家に上げて話を聞き、小遣いをあげたり、結核治療のために開設した近江療養院で患者たちと交流したりしていた。周りが避けるような人と親身になって関わっていた姿を、地元の人たちは今も覚えているという。
ヴォーリズ・メモリアルの事務局長の藪秀実さんは、ヴォーリズの信仰をこう語ってくれた。
「ヴォーリズは、建築の他、教育、福祉、医療などその活動の幅は広いけれども、その根底は、聖書における神の国を実現することのためにあったと言われています。彼の生涯を語るときよく引用されるのは、(第一)コリント書(9章22~23節)の『弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである』という部分です。
その姿を見た近江八幡の人は今でも慕っている。今回のボランティアスタッフもクリスチャンではない人がほとんどだけど、熱心に協力していただけるのは、ヴォーリズの人柄と生き方によるものなんだと思います」
ヴォーリズ・メモリアルの会場をあちこち歩きながら、今でもヴォーリズの建築物と人柄が、彼が60年間暮らした地元で今でも深く愛されていることを何度も感じた。そして、彼の生き方と信仰について、少し深く知ることができた一日だった。
歴史情緒ある町並み、モダンな建物、ヴォーリズの生涯を知る地元の人たちとの交流。11月3日までの1カ月間、秋の散策に、近江八幡へ足を伸ばしてみてはどうだろう。