ヴォーリズ没後50年を記念した「ヴォーリズ・メモリアル」が始まった4日、会場となった近江八幡を訪ねた。JR京都駅から40分ほどの近江八幡駅、そこからバスに揺られて10分で着く。
ヴォーリズ・メモリアルの本部となる白雲館からは、目の前に八幡山のロープーウェー乗り場が見える。その前には、八幡堀に沿って木造建築の商家が立ち並び、歴史情緒を感じさせられる。八幡堀は天正13年(1585年)に、豊臣秀吉のおい、秀次が八幡山に城を築き町を開いたことに始まるという。辺りは木造の町屋造りの建物が残り、その中にところどころモダンなヴォーリズ建築の建物が立ち並んでいる。
1カ月にわたるヴォーリズ・メモリアルの期間中、歩いて回れる範囲には約24の建物が公開されており、普段は足を踏み入れることができない館内に入ることもできる。
初日のこの日は天気も快晴にめぐまれ、町のあちらこちらにパンフレットや写真の建物を訪ねる家族連れの姿があった。通りには、青いジャンパーを着た実行委員会の人が案内をしている。スタッフのほとんどは近江八幡の地元住民だ。ヴォーリズ記念館まで歩く道すがら、スタッフの女性が昔話を語ってくれた。
「私はこの近くの生まれで、子どものころ通りで遊んでいると午後3時くらいになると、事務所の仕事が終ったヴォーリズさんや、先生をしていた満喜子さんが通りを歩くからお話したり、一緒に遊んでもらったんですよ」
1964年に亡くなって50年経った今も、地元の人々に慕われているのだと思わされる。
初めに訪れたのは、1910年代に近江ミッション住宅として建築されたウォーターハウス。こちらはコロニアルスタイルの住宅だ。コロニアルスタイルとは、米国の開発時代に東部沿岸に渡った入植者が、イギリス様式のジョージアスタイルなどをもとにしながら、より実用的な間取りを持ち、それを素朴な建築技術で建てられるように、新天地・米国の風土の合わせて工夫した建築様式。ピューリタン精神を表すものとして人気があったという。
次は、ヴオーリズと妻満喜子が生涯を過ごした一柳館。現在はヴォーリズ記念館として使われている。入母屋風の屋根瓦とオイルステイン仕上げの素朴で質素な板張り壁の和洋折衷式住宅だ。館内に足を踏み入れると、木造ならではのゆったりしたスペースの中、夫妻の生活が偲ばれる展示がある。本棚にはヴォーリズの蔵書もそのまま残されており、当時のキリスト教書籍などが並び、背表紙を眺めるだけでも楽しい。(続く)