なお、観世能楽堂の玄関には、京都の伏見稲荷神社から分霊された観世稲荷社があり、神道とのつながりが強い。その一方でキリスト教の能と文楽が同能楽堂で上演されたことについて、同能楽堂支配人の田中敏之氏は、本紙からの質問に対し、「宗教(の違い)に関係なく、広く心の問題としてやっております」と答えた。
一方、神道や能とキリスト教の関係に詳しいルーテル学院大学国際日本文化研究センター共同研究員の上村敏文准教授(日本福音ルーテルむさしの教会員)は、昼の部を鑑賞後、ユダヤ教やキリスト教が稲荷などの渡来系神道に与えた影響にふれた上で、「『聖パウロの回心』で十字架が能楽堂にかかり、しかもそれを能楽の宗家がやったのは歴史的なことだ」と語った。
同准教授はまた、「(武家の)能舞台に(庶民の)文楽が上がることは歴史上画期的だ。これがキワモノで終わらずに繰り返されるかどうかがポイントだ」と付け加えた。
なお、ルターによる宗教改革500周年の2017年に創作能「ルター」の上演を企画している同准教授は、夜の部も鑑賞したほか、3月24日に行われる日本基督教学会関東支部会で今回の「聖パウロの回心」がもつ可能性について研究発表をする予定だという。
また、昼の部を鑑賞した日本基督教団日本橋教会の宍戸基男牧師は13日、本紙に対し、次のような感想を寄せた。
今回の「能と文楽」は内容が濃厚であった。まず、西本ゆか(朝日新聞社)と林望氏の短い対談があり、初めての人にも分かるようにとの配慮がなされていた。対談では洋の東西を問わず普遍的な人間の持っている情念(愛や怒りやねたみ、嫉妬)や出会いのもっている不思議な縁(回心といった)までも含めた人間性(ヒユーマニティ)が演じられることに、今回の演目「イエス・キリストの生涯」「聖パウロの回心」がとりあげられる意義がある。
またキリシタン能が演じられていた記録は抹消されてないが、口伝で伝えられてきた記憶が伝承されている。大阪堺で、武将たちの二派に分かれての対立があったときに、クリスマスを迎えた時があった。そこで、クリスマスの時を覚えて、敵味方なく一緒になってクリスマスを祝った記述があるという紹介がなされていた。戦場のメリークリスマスだった。
震災問題との関連については、西本氏のパンフレットの解説にあった「死者の声を聞き、死者の声を代弁し、死者に平安を取り戻す」が参考になる。私の解釈は、初めと2番目の、死者は震災でなくなった方々の叫び、最後の死者は我々自身を指す。そして、最初と2番目の死者は、イエス・キリストそのものでもある。十字架上での「わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか」との叫びに代弁される。同時に、イエス・キリストの死者をよみがえらせた宣言、海の嵐に命じられたその神の権威の現出、顕現、勝利者キリストの存在をさす。最後の死者は、生き残った我々で、死ぬべき運命を背負っているが我々はその日まで、この世で生きて使命を果たしていく力、平安、安心、生きる力、戦う力を十字架の死者キリストから、復活の勝利者キリストから与えられていく。死者キリストは死者である我々に平安を取り戻す。
「イエス・キリストの生涯」人形浄瑠璃文楽では、人形遣いの華麗な手さばき、人形の手足の動き、目の動き、あの舞台全体を使って、しかも、三味線が使われていたことは、能舞台ではないことと、後で関係者からおききしました。キリストの生涯のなかで、私は2つ印象に残った場面がありました。ヤイロの娘が病気で癒しを求められたが、途中で、娘は死んだとの報告を受ける。主イエスは向かう。娘は眠っているだけだというと、人々は嘲る。みなを外に出し、娘よ、起きよ。タリタクム、娘よ起きなさい、の声に少女はよみがえった。嵐に悩む小舟。その嵐の中で、主は、嵐よ静まれと命じると、嵐は静まった。
能パウロの回心では、最後の復活者イエスの舞その奥深さ、十分には振りの意味を捉えられなかったが、優雅で、力に満ちたものであった。西本氏のパンフレットにあった「芸能でおなかはふくれない、体の傷もいやせない。だが全身全霊を舞台に込めた演じ手と同じ時間を共有する劇場でのひとときには、悲しみや苦しみにこわばる心を解きほぐし、生の実感をよみがえらせる、穏やかだが持続性のある漢方薬のような力があると私は思う」との言葉を現出させた舞であった。もうひとつは、パウロは最後にキリストから巻物をいただく。それは聖書を表していると思う。聖書の本当の著者はキリストであり、パウロはそれを受け取って世界に出て行った。面をかぶったキリストの顔姿が忘れられない。