20分間の休憩後、2時50分より「能 聖パウロの回心」が、囃子方(はやしかた)による笛と小鼓、大鼓、太鼓の演奏からなる音楽とともに、謡(うたい)と呼ばれる腹の底から出す独特の声楽で90分間にわたって上演された。
その中で、「かのイエスの教へを奉ずる者あらば、このサウロが縛(ばく)にかけて、たちまち獄につなぐべし」とシテのサウロが迫害の意思を表した。そこへ「なうなう、サウロよ、サウロ、そなたは、なぜそのようにわれらを虐ぐるぞ」というイエスの声が聞こえ、サウロは光に目が眩み雷に打たれた。舞台には十字架が設けられていた。
その後、「さればこそ、我が主イエスの復活し給ひししるしの御声なるものを」と里人がサウロに告げ、「これよりは、その悪心を悔ひ改め、まことの心にたちかへり、神の子イエスの御名をもて、罪の許しを乞ひ給へ」と諭した。
さらに、アナ二ヤがここでパウロと改称されたサウロに対し、「神はそなたを名指しして、わが教へをば、異邦人にも異教の王にも、またはイスラエルの子らにまで、伝道すべき器として選びたる者なりと、仰せ給ふ」と自らが見た夢を伝えた。
すると、「パウロの目より、鱗めくものはらりと落ちて、もとの目あきに立ち戻る」。見えるようになったパウロは「悟り得たり、知り得たり。ここに諸々の悪心をひるがへし」と回心した。
さらに、間狂言を含む中入でそれまでの経緯が語られ、最後にオルガンの演奏が響く中で後シテによるイエスの舞が始まった。面を着けて白い装束を身にまとい、両手を広げ、ゆっくりと舞うと、青と白の衣装で舞うパウロに対し、「ゆけパウロ、これまでなりと曰(のたま)ひて、イエスは空へ昇りゆく、祝福の声こそめでたけれ」という詞が告げられ、舞台は締めくくられた。
上演に先立ち、「聖パウロの回心」の台本を執筆した作家で国文学者の林望氏と、11年間古典芸能を取材してきた朝日新聞記者である西本ゆか氏によるお話が20分間にわたって行われた。
林氏は、「形としてキリシタン能というものがあったという記録だけが残っていて、その実態は全く伝わっていない。しかし、アダムとイブとかノアの箱舟とかイエスの誕生とかそういうようなことが作劇されたということだけがわかっている」と述べた。
林氏はまた、現代にキリスト教の能を新作で演じる意義について、「『聖パウロの回心』は誰の身にもある普遍的な話ではないか。『アメイジング・グレイス』も『聖パウロの回心』の近代版ではないか。人間が生きている以上、どうしたって罪というものをまぬかれることはできない。宗教を超越したような普遍性がこの話にはあるような気がする」と語った。
林氏はさらに、古典とは何かという問題について、「どのような時代のどのような人が読んでも普遍的なヒューマニティー(人間性)が扱われている。こういうものが時代とか身分とか男女差を超越して残っている。古典を教えるということはヒューマニティーをよく顧みることだ。古典芸能というのは普遍的なヒューマニティーを伝えてきた。だからこそどの時代にも楽しまれる」と述べて、能や文楽が持つ普遍性を強調した。
一方、西本氏は、配布資料の中で「鎮魂と復活―祈る能、願う文楽」と題する文を記し、「能がもつ鎮魂の力、ゴスペルに込められた復活の願い。その二つが結びつき、響き合い、東日本大震災から三年を迎えたこの日、『能と文楽』一日限りの貴重な共演の舞台となり、観世能楽堂で演じられる」などと記した。
また、お話に引き続いて10分間行われた文楽解説で、「ゴスペル・イン・文楽」の初演(1999年)からその解説を担当しているというラジオ伝道者の高原剛一郎氏(東住吉キリスト集会会員)が、観客に対し、「人の弱さを理解するために赤子でスタートし、罪を背負い、よみがえりによって死を征服したこのイエス・キリストの濃厚な生涯を、どうぞ『ゴスペル・イン・文楽』でご堪能ください」と語った。
「聖パウロの回心」は、パウロをツレ(助演者)、イエスをシテとして、2012年3月6日に立教大学タッカーホールで初演が行われ、立教小学校では、4年生から6年生が鑑賞した。今回は大人の観客向けに前シテをパウロ、後シテをイエスと、複式の構成に改められた。(続く:「(3)上村敏文ルーテル学院大学准教授『十字架が能楽堂にかかったのは歴史的なこと』」へ)