もしあなたにテレビとこの世の真の救い主への信仰があれば、2月7日に始まったロシアのソチ冬季五輪をもっと深く楽しむことが出来る。こう語るのは、宣教団体「デザイアリングゴッド(DesiringGod)」の編集長であるデビッド・マティス氏。
マティス氏は、同団体の設立者で現在は同団体で講師を務めるジョン・パイパー氏の言葉を引用し、「使徒パウロは、すでにその頃名が知れていたオリンピックを例に挙げ、クリスチャンたちに、競技を違った次元で解釈し、皆が見るものとは全く違う本質をそこから見出すよう教えている」と言う。
パイパー氏は、パウロの意図をくみ、「選手が走っていたら、そこからもう1つ違う種類の競走を見出しなさい。ボクシングをしていたら、違う意味のボクシングについて考えなさい。訓練したり、自己犠牲を払ったりしているところを見たら、違った次元の訓練や自分を捨てる行為を思い起こしなさい。首に金メダルをかけて笑っている所を見たら、違う世界で頂ける賞のことを考えなさい」と教えている。
米ミネソタ州ベスレヘム・バプテスト教会の長老でもあるマティス氏は、自身のブログで「テレビをつける度に、オリンピック中継を通して語りかける神の声に、耳を傾けてほしい。オリンピックを見ていると、神の壮大さに気付かされる。五輪がどんなに大きく見えても、金メダル争奪への競争がどんなに歴史的な瞬間に見えても、心の目のカメラでズームアウトし、空中から同じ光景を見てみよう。ソチの街全体に比べて競技場がどれだけ小さいか、またソチがロシア全体に比べてどれだけ小さく見えるか、想像してみよう。ロシアも、地球全体から見れば、ほんの小さな斑点に過ぎない。そして我らのこの惑星が、宇宙の規模と比べて無限に小さいこと、さらにまたその宇宙と比べた時の、神の壮大さと尊さに思いを巡らせてほしい」と書いている。
マティス氏はまた「オリンピックは、クリスチャンに『信仰の戦いを立派に戦い抜く』必要性を示している。五輪の栄光は健康な若者たちのためのものだが、クリスチャンの『競走』は若い者、老いた者、健康な者、そして病ある者のためのものだ。五輪はクリスチャンに、第一テモテ4章8節の『体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来たるべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです』を思い起こさせるかもしれない」と続けている。
マティス氏は「魂を救う真の信仰は、聖霊によって支えられ力づけられ、オリンピック選手と同程度、いやそれ以上の障害にも屈しないものである。またソチ冬季五輪は、クリスチャンにイエスの偉大さも示してくれる。イエスは、国際レベルの選手の仲間であるだけではなく、彼らの創造主でもあるのだ」と付け加えている。
結論として、マティス氏は再びパイパー氏の書籍『Jesus: Worthy of More Glory than Moses(モーセよりもはるかに栄光に値するイエス)』から引用し、「イエスは、建てられた家よりも、それを建てた者の方がより大きな栄光を受けるべきであるのと同じように、どのオリンピックのメダリストよりも、はるかに大きな栄光に値するお方なのだ」と結んでいる。