温故知神—福音は東方世界へ
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温故知神―福音は東方世界へ(94)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本39 川口一彦
国の政策が国民に目を向けるなら国は発展していくが、皇帝の傲慢で政治を行うなら民は苦しみ、争いや犯罪が横行する。この時代は慈悲の心で苦しむ民に手を差し伸べたことが書かれています。
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温故知神―福音は東方世界へ(93)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本38 川口一彦
治安のための九種の法を設け、景教の使命を新たにされました。景教の教えを体得され、祈る心は恥じるところがありません。国は偉大で謙虚、平和で憐れみ深いです。
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温故知神―福音は東方世界へ(92)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本37 川口一彦
聖神皇帝(一般に徳宗皇帝と呼ばれている)は、代宗皇帝の長子として生まれ、安史の乱を平定したものの、即位後は財政再建などに努め、しかし、反乱などで政治勢力は弱体化していきました。
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温故知神―福音は東方世界へ(91)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本36 川口一彦
代宗文武皇帝(726~779、在位762~779。第11代皇帝)は、唐帝国の回復発展に無為に従事し、その降誕記念日には皇帝が景教徒たちに香を贈られ、その事業の成功を告げ、多くの食物を景教徒に贈られたので景教は輝きました。
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温故知神―福音は東方世界へ(90)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本35 川口一彦
霊武は霊州ともいわれ、742年に霊州を改め霊武としました。現在の寧夏回族自治区の霊武市。五郡とは5つの郡の意味と、五郡という地名の説があります。すなわち、西安より西の方面に終南山があり、その地域をいいます。
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温故知神―福音は東方世界へ(89)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本34 川口一彦
粛宗は、玄宗皇帝の三男として生まれましたが、この時代は反乱が起きた時代で、755年(~763年)に唐の節度使であった安禄山(ソグド人といわれる安禄山とその部下の史思明ら)が反乱を起こすと、粛宗は父・玄宗皇帝と長安を脱出。
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温故知神―福音は東方世界へ(88)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本33 川口一彦
新約聖書には徳の文字が多く出、徳目も表記しています。すなわち信徒の品性を備えることを勧めています。皇帝の直筆がどんな内容の筆跡かは不明ですが、皇帝の書を会堂に掲げたことは、特別に国の認可があり、保護されたことを意味したと考えます。
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温故知神―福音は東方世界へ(87)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本32 川口一彦
この時代、景教徒たちが霊的に弱体化しており、アフガニスタンの宣教の拠点バルクか、中国西部の拠点から指導者たちが来唐し、力づけたとの記事です。大徳は有力な指導者の意味、僧とは一般的な指導者のこと。
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温故知神―福音は東方世界へ(86)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本31 川口一彦
景教と皇帝との関係が悪い状況ではなく、すこぶる良好であったこと、景教会堂は皇帝の護衛兵で守られていたことも述べ、皇帝の表現はあまりある言葉で譬(たと)えている。日角は額の左側の隆起部分をいう。右側は月角といい、光を放つといわれた。
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温故知神―福音は東方世界へ(85)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本30 川口一彦
この箇所は、景教の力が迫害や霊的弱さにより衰えたことを教え、強めるために指導者たちが中央アジアの本拠地から唐に来て霊的に励ましたことから活力が戻ったこと、皇帝からも支援があったことが語られている。
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温故知神―福音は東方世界へ(84)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本29 川口一彦
前述にも迫害に遭遇した記事が出ましたが、信仰者の迫害はどの時代にも、どの地でも起きます。そして信仰者の弱体化の1つは迫害によることで、その対策として本部から霊的信仰者が導かれて強化をしたことが刻まれてあります。
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温故知神―福音は東方世界へ(83)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本28 川口一彦
僧首とは主教・牧師のこと。大徳とは大主教・監督のこと。及烈(ガブリエル)は、玄宗皇帝の開元2(714)年に波斯(ペルシア)から長安に来ました。このような時代に道教信徒たちからも迫害を受けました。
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温故知神―福音は東方世界へ(82)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本27 川口一彦
則天武后は690年に皇帝に就くと聖神皇帝とし、天授と改元、国号を唐から武周としました。さらに、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとし、偽経の大雲経を作り、各地に大雲経寺を作らせたほど自らを神仏に仕立てました。
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温故知神―福音は東方世界へ(81)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本26 川口一彦
国土も潤い、文明も栄えています。高宗大帝(628~683、在位649~683、第3代皇帝で諡号は天皇大帝)は、恭しく皇祖の意思を継がれ、真宗[注]である景教を潤し、中国諸州に景教の寺(会堂)を置かれました。阿羅本は鎮国大法主となって・・・
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温故知神―福音は東方世界へ(80)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本25 川口一彦
国土は、火綿布(石綿)、返魂香(人を蘇生させる香り)、明月珠(別に夜明珠ともいい、月の明かりを出す玉)、夜光璧(闇を照らし出す玉)を出し、一般に盗難もなく平和で楽しく、景教の教えによって国主が立てられ、・・・
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温故知神―福音は東方世界へ(79)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本24 川口一彦
中国の歴史書などには、大秦国である西アジアの地誌が書かれてあった。それを紐(ひも)解いてみると、おそらく珊瑚(サンゴ)の海とはインド洋あるいは紅海のことか。衆宝の山々とはコーカサスの山々か。長風弱水はチグリス川とユーフラテス川のことか。
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温故知神―福音は東方世界へ(78)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本23 川口一彦
皇帝の写真は中国国内の各所で掲げられていた。景教会堂にもそれを掲げた。これは崇拝対象ではなく皇帝の国家的威力を示すことにあった。現代の中国には毛沢東の肖像画が、内モンゴル各地でもチンギスカンの肖像画がある。
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温故知神―福音は東方世界へ(77)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本22 川口一彦
大秦寺の文字は碑文冒頭にも出るが、大秦とはユダヤのこと。ユダヤのイエスの教えであることから景(景は世界の光イエスの意味)教とした。以前の名称はペルシアから来たことから波斯(ペルシア)寺と呼んでいた。景風はイエスの教えのこと。
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温故知神―福音は東方世界へ (76)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本21 川口一彦
太宗皇帝が景教の中国国内での宣教許可を与えた一文である。それだけではなく、長安場内義寧坊区の大秦寺をはじめ全国に会堂が建っていくようになる。
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温故知神―福音は東方世界へ (75)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本20 川口一彦
宣教師と供の者たちは太宗皇帝に対し、ペルシャから唐に来た理由を伝えた。そして自分の信じる神や救い主イエス、聖書やペルシャの地理に関して伝えた。また、図書館では聖書を漢訳し、やがて3年が経過すると、皇帝は宣教の許可を与え激励した。
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