わが家は一風かわっている。
あるとき、息子がこう言った。「父さんは、顔が広くてハンサムで、腰が低くて太っ腹」と。お世辞と知っても喜んだ。ところがあとが始末がわるい。ひたいがはげて広いのと、毛が少なくて半寒(ハンサム)で、短足胴長で低いのと、中年太りで太いのだ。
ある日、美人のセールスマンが化粧品を売りにきた。
「奥さま、お手入れはどうしておられますか」
「えっ。お手入れって、庭のですか」
一発勝負で勝ったけれど、おかげでいまだにまっ黒で、観賞的には価値がない(価値には実用価値ばかりか、希少価値もあります)。
あるとき、次女が言いだした。「わが家はみんな変人よ。一言でいえば、父さんはくどい、お母さんは冷たい、姉さんは目立ちで、弟はとろい」
「じゃあ自分は!」とみんな。
「私は陰険!」
思わず一同、「うん、いえる!」
その陰険娘、きわめて意志が堅いので、「私は神さまのために伝道音楽を学ぶ!」と言ってアメリカへ渡った。目立ちの長女は二年間も夫をわが家に預けたまま、オルガン学びにドイツに行った。先ごろようやく帰国したけれど、一年後にはまたウィーンに行くことになっている。
かわいそうな婿殿は、子ども好きが高じて生後一カ月の赤ちゃんを養子にしてきてかわいがり、目の中へ入れても痛くない。毎晩抱いて寝てござる。時ならぬ孫息子の出現に、妻は育児に大張り切り。八十七歳のじいさままで、ひ孫の笑顔に生きがいを感じ、けっこう相手になっている。そういう私もうれしくて、やれ忙しいといいながら、風呂は人には入れさせず、ばあさん呼ぶにも歌で呼ぶ。
とろい、の息子は名に恥じず、入学するのも暇がいり、卒業するにも間をかける。後を継ぐのもとろそうだ。それでも取り柄がただ一つ、顔に「善人」と書いてある。なんでも頼めばしてくれる。
冷たいはずの女房も、神さまだけには心が熱い。いま古女房になったけど、結婚十年の記念日に、花を飾った食卓で、「神さま、一生独りでいいですと、神学校まで行ったのに、こんなにいい子をいただいて、幸せすぎて困ります。罪悪感を覚えます。この幸せをいつまでも、自分のためには使わずに、人のために使わせてください」と祈った。
私はこれを聞いてかぶとをぬいだ。そのころから私は、単なる愛妻家から敬妻家に変わった(いまは恐妻家に昇格した)。
聖書の中に、「よい妻は、神のたまものである」と書いてある。
(中国新聞 1982年10月26日掲載)
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