風邪をひいた。寝こむほどではないのに、なんとも疲れやすく、意欲が出ない。そのため、まわりの人に迷惑をかける。風邪でもこんなに影響があるのだから、死に病にでもかかったらどんなに周囲を困らせるのだろうか。
そういえばこのごろ、心ひそかに思うことが二つある。
一つは、病気で死にたくないということだ。
せっかく若いときに献身し、牧師になり、キリストのためになら独身でもいい、辱めも受けよう、バカにもされよう、死んでも迫害されても殺されてもいい―と決心したのに、平穏無事に五十年余りを生きてきてしまった。
素晴らしい妻も与えられ、幸福な結婚生活もし、子育ての楽しさも味わい、孫のかわいさまで満喫した。人並み以上の栄誉も得たし、いのちを懸けた伝道の事業にも成功した。もうこれ以上の、なにを、なお望もうというのか。あとはただ、できるかぎりの努力をし、生かされている間は伝道のために働きたい。
しかし、いつかはどうせ死ぬこの体、どうせ死ぬなら病気で死なず、人の身代わりにでもなって死にたい。眼でも首でも心臓でも、あげられるものならいのちでもあげたい。ふだんはいくらおとなしくしていても、ここぞというときには強くなり、真理のためにはいのちも捨てる者でありたい。
その二つ目は、私有財産はもちませんということだ。
私が死んだとき、私有財産や隠匿財産が見つかったら軽蔑してほしい。柩にツバをかけてほしい。絶対にそんなにはならない確信がある。
与えられたものはかならず使う。自分のために貯めこまないで、人のために使う。使うべきときがきたら間違いなくいのちも財も使いつくす。それができるという確信がある。
なぜかというと、若いとき、私は一度死んだ。自己の醜さを知ってのたうちまわり、自我を十字架につけるという経験をした。キリストは私を捕えてくださった。キリストわれに勝ち給えり、キリストわが内に在りて生く、という経験をした。だからいつでも聖書の言葉が心の琴線に響く。ありがたいことだ。だからここぞというときには、キリストが私に語ってくれて、いのちの捨て場を教えてくれる、と信じている。
そう思うと風邪ぐらいで自分をかばってはおられない。自己を出し惜しみする必要がない。それなのにゆうべは早く寝て、送るべき人をタクシーで帰した。今朝の目覚めはさわやかだが、心のどこかに痛むものがあった。
(中国新聞 1982年12月21日掲載)
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◇植竹利侑(うえたけ としゆき):広島キリスト教会牧師。1931年、東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年、矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。1994年、特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に、「受難週のキリスト」(1981年、教会新報社)、「劣等生大歓迎」(1989年、新生運動)、「現代つじ説法」(1990年、新生宣教団)、「十字架のキリスト」(1992年、新生運動)、「十字架のことば」(1993年、マルコーシュ・パブリケーション)。