タジク人は中央アジアの民族で、主にタジキスタンに居住している。彼らの言語はタジク語で、ペルシャ語の方言に属している。大多数がシーア派イスラム教徒である彼らは、伝統音楽やダンスが文化の重要な部分を占めている。タジキスタンは山岳地帯が多く、農業や牧畜が主な生業となっている。
歴史的にはペルシャ帝国の一部であり、冷戦時代はソビエト連邦の影響を受けてきた。独立後もロシアとの関係が強く、経済面や軍事面での依存が強い。
タジク人は伝統的な価値観を重んじ、強い家族や共同体の絆を保っている半面、イスラムからキリスト教に改宗した者への圧力と迫害は厳しい。憲法で信教の自由は保障されているものの、実際には制限があり、政府はキリスト教徒を監視し、登録のない教会の活動が禁止されるのだ。
隣国のアフガニスタンを通じて流入する麻薬や、それによって派生する中毒や貧困も社会問題化している。そのようなタジキスタンで、ジャムシェドは薬物乱用で逮捕され、刑務所に服役していた。
刑務所では食料も医薬品も乏しく、汚職がまん延し、過酷な労働が課せられていた。彼は自分の人生がここで終わるのではないかと不安な日々を送っていたのだ。
ところが、地元のキリスト教徒数人が刑務所を訪れたことで、全てが一変した。ジャムシェドはイスラム教徒の家庭に生まれたにもかかわらず、自分を信仰深い人間だとは思っていなかった。しかし、訪問者からロシア語の聖書を渡されると、彼は熱心にそれを読み、刑務所内のモスクに持ち込んだ。そして、彼は「見てください。これは真理です」とモスクの指導者たちに告げたのだ。
しかし、彼の発見は歓迎されなかった。彼らはジャムシェドに「この裏切り者め! この本はロシア人のためのもので、イスラム教徒のためのものではない。見てみろ、全部ロシア語で書かれているではないか!」と強い言葉で答えた。
ジャムシェドはタジク語の聖書があるのではないかと考え、それが実際にあると知って大喜びした。それでジャムシェドはタジク語の聖書を手に入れ、モスクに戻り、ロシア語とタジク語の両方で聖書を読んだ。「私たちの言語でもロシア語でも同じことが書いてあるじゃないか!」と彼は叫んだ。「これはロシア人だけのための本じゃない! これは私たちタジク人の本でもあるんだ! これはロシアの神についての本じゃない! 聖書の神は、私たちの神でもあるんだ!」
ジャムシェドは刑務所内の他の人たちに自分の発見を分かち合い始めた。すると人々は、彼の信仰について質問し始めた。「中には秘密警察の人もいました。でも、私は彼らを恐れませんでした。彼らにも福音を分かち合いました。彼らは誰よりもキリストを必要としていたからです!」とジャムシェドは回想する。
刑務所での日々が遠い昔となった今、ジャムシェドは自宅の裏庭の木の下で、小さな家の教会を率いているのだ。ジャムシェドのような小さな地元の教会が、信仰を大胆に分かち合うことができるように祈ろう。タジキスタンの福音化のために祈っていただきたい。
■ タジキスタンの宗教人口
イスラム 93・9%
プロテスタント 0・1%
カトリック 0・01%
無神論者 5・0%
正教会関係 0・9%
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