それは冬も間近の11月末。「施しの日」の前日のことだった。ニコラスは厨房でこの食事会に出す食事のことや子どもたちに与える菓子や飲み物について、料理長のトロピモや家政婦のスントケと打ち合わせをしていた。
「ニコラス様が始められた『子ども劇場』大変な人気じゃありませんか」。スントケと同じエチオピア人の料理長トロピモは相好を崩しながら言った。「あの子どもたちのうれしそうな笑顔といったら。子どもって勉強は大嫌いですけれど、お話を通して教えられると素直に言うことを聞くんですねえ」
スントケもにこにこして同調するのだった。ニコラスは、子どもたちを喜ばせることならどんなことでもやりたいと考えていた。彼自身孤児だったのが人の情けにより幸せな人生を歩めるようになったので、全ての子どもたちにその恩恵を分けなくてはならないと思ったからであろう。
「今度の出し物を考えているんだけどね。このルキア地方に昔から伝わる物語『どろぼうの名人』というお話はどうかと思うんだ」。そして彼は、この話のあらすじを皆に聞かせた。そこにいた者は、皆ニコラスの名案に賛成し、それはいい――と言うのだった。
と、その時である。屋敷の外で人々がガヤガヤ騒ぐ声がし、大きな悲鳴が聞こえた。何事かと飛び出して行くと、ちょうど血まみれになった男が担架に乗せられ、4人の男に担がれて門に入ってきたところであった。
門の脇で花壇の手入れをしていたハンナ夫人は、声高く叫んだきり、気を失って倒れてしまった。それは、この屋敷の当主ガイオの変わり果てた姿だったのである。
「旦那様」。アルキポ親子とスントケは、血まみれになって息絶えているガイオに取りすがって号泣した。他の使用人たちも駆けつけてきて泣き叫んだ。彼らにとってガイオは、身寄りがなく頼る者のない自分たちをこの屋敷で働かせてくれ、生活の面倒を見てくれた恩人であり、父親のような存在だったのである。ニコラスは、物言わぬ養父の上に身を投げかけて叫んだ。「おとうさん!どうしたんです!」
その時、馬の世話をしているカシムという従僕が、震えながら説明をした。それによると、ガイオは役場に用があって出かけ、その帰り道、市場の前を通りかかると、二人のならず者がけんかをしている場面に出くわした。
そのうち、一人が短刀を振り上げ、もみ合いになったので、思わずガイオは馬を降りて二人の間に割って入り、男の手から短刀をもぎ取ろうとして刺されたのであった。心臓を一突きされて即死だった。男たちは逃走した。
翌日の「施しの日」は急きょガイオの葬儀に変わった。執事のアルキポは葬儀屋と交渉し、町の名士にふさわしい立派な葬儀を執り行うよう手筈を整えた。ニコラスは、衝撃のあまり廃人のようになってしまった養母を支えて喪主としての役目を果たし、養父が心から愛したパタラの海岸近くの墓地に遺体を埋葬した。そして、葬儀に参列した人々に金貨を一枚ずつ心付けとして配ったのだった。
不幸は、後を追うようにしてやって来た。養母ハンナは葬儀を終えた直後に、心労と、それまで患っていた肺炎が重くなり、2週間目に夫の後を追うように他界したのだった。
「実はね、アルキポ。見てもらいたいものがあるんだよ」。全てが終わった後、ニコラスは養父からいつぞや譲られた家宝『ヤコブの手紙』の巻物を見せて言った。
「養父(ちち)はコロサイ教会のクリスチャンからガイオ家に譲られたこの家訓を大切にしていた。そうしてここに戒めとして書かれているように、貧しい人や弱い立場にある者を思いやるように諭されたのだよ」
アルキポは、恭しくその巻物を手に取り、震える手で開いた。「旦那様の生前の生活、貧しい者への施しや親のない子たちの面倒を見られるご様子を見ていて感じておりました。きっと旦那様はどこかでクリスチャンと接触なさっているのではないか――と。神と隣人を愛せよとの教えはキリスト教以外の宗教にはございませんから」
かくして養父母を失ったニコラスは、ガイオ家の莫大(ばくだい)な資産を受け継ぐことになった。しかし彼は、アルキポと相談してある事を実践した。それは、養父が起こした事業は信頼のおける商業組合の仲間に譲り、自分は年金で生活し、その莫大な資産を少しずつ生活困窮者に分け与えることにしたのである。
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<あとがき>
大富豪ガイオの家に、突然降って湧いたような不幸が訪れます。町中の人から慕われ、尊敬されていたガイオが、不慮の事故で命を奪われたのです。
市場の前を通りかかると、二人のならず者がけんかをしていたので仲裁に入ったところ、一人から短刀で刺され、致命傷を負ったのです。いかにもガイオらしい最期でした。
夫人はもともと体が弱く、病気がちだったのですが、この事件の衝撃に耐えられず、夫の後を追うようにして他界してしまいました。孤児だったニコラスは養父母を一度に失い、再び天涯孤独の身となってしまいます。しかし彼は、アルキポや屋敷の使用人たちに助けられ、養父母の財産を継いで屋敷の当主となり、「施しの日」やその他の慈善事業をそのまま引き継いだのでした。
ニコラスは養父から莫大な財産を受け継いでも、それを自分のために使おうとせず、ほとんどを貧しい人々に分け与え、自分は年金で暮らすことにしたのです。この頃から将来のサンタ・クロースの素顔が見えてくるようです。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。