これは、キリストが自分史に介入されたことの証しです。神はあわれみ深く、恵み深い方であり、こんなにも愚かで情けない者も、神に叫び求めると神が救ってくださったという証しです。キリストは、こんな者をも愛してくださったのです。(第12回はこちら:暗雲が立ち込める、第1回から読む)
辞任の決意と最後の戦い
精神的にも霊的にも恐ろしい圧迫を受けながら、主任牧師の悪事を問いただす手紙を責任役員の方々に送った私だったが、それでも事態は好転しなかった。もう打つ手はないと思った私はその年1998年の暮れごろに、講壇の上から教会員に向かって「来年の3月いっぱいで、私は辞めます」と宣言した。
その頃、教会員の中にはまだ主任牧師の潔白を信じている人もたくさんいたので、私は特に引き留められることもなく、むしろ主任牧師に弓引く者として白い目で見られながら、居心地の悪い3カ月を過ごすことになった。
早くも次の副牧師が招聘(しょうへい)されてきたが、私が今教会で起こっていることを全てぶちまけて話すと、彼は頭を抱え込んでしまった。この状況に彼を置き去りにするのは忍びなかったし、私も最後の責任を果たそうと思い、「私が白黒はっきりさせて行くから」と言って、いわば最後の戦いに臨んだ。
ある日、主任牧師からの被害を訴える手紙やファックスを携えて牧師会に行き、その場に一緒にいた彼の奥さんや他のスタッフたちの目の前でそれらを突きつけ、「あなた、やったでしょう」と言って彼の目の奥を数分ずっと見つめ続けた。すると、目の奥の奥で彼の気持ちががくがくっと崩れ落ちるのが見え、彼はうめくように「やった」と告白した。そばにいたスタッフたちは彼を信じて私に敵対していたので、心底驚いて「え~っ!」と悲鳴のような叫び声を上げていた。
それから私は、この教会に8人いた責任役員に一人ずつ喫茶店に来ていただき、「このことについてどう思うんですか」と問いただした。しかし、「主任牧師に辞職を求めることに同意する」と言った役員は、8人のうち、私より若い2人だけだった。あとの6人は社会的地位もある60代の初老の方々だったが、学生の頃に救われて、ずっとその主任牧師に育てられて恩義があるので、彼に立ち向かうことを拒んだ。「でもこれは、犯罪です。刑務所に入れられるようなことを彼は行い続けているんですけれど」と言っても、彼らの頭と心はかたくなで、ついに動かなかった。
どこが新しい生き方なのか
自分の罪を認め、十字架で赦(ゆる)されたのがクリスチャンなのではないのか。古い自分が死んで、新しく生まれ変わり、神の助けによって良い行いをするのがクリスチャンなのではないのか。それにもかかわらず、教会の指導者が悪を行い続けていては元も子もない。それを役員たちに伝えても、ボヨヨ〜ンとしたふぬけた反応しか返ってこないのだ。
こういう人たちを相手にこの戦いを戦い抜くのは本当につらく、しんどいことだった。このことについては何の落ち度もない私がどうして出て行かなければならないのかという理不尽さにも耐えなければならなかった。この頃、私は吉祥寺にある修道院へ毎週日曜日に行き、一泊し、翌日の夕方まで祈ることで、なんとか持ちこたえることができた。
また、チャック・スミス牧者に出会った後だったので、人につまずいてもキリストにはつまずかない信仰を持つことができていたのは幸いだった。
この写真の説明
この写真の日付を見ると、1999年1月30日となっている。ということは、私がA教会を辞めると会衆に伝えてから、そこを去る間に撮られたものだ。
私の隣にいる男性は、私を心配してくれた。ある時、私をランチに招き、話を聞いてくれた。特にしんどい時だったので、今でも彼の親切は忘れられない。
その後、彼が病気になり、何度かお見舞いに行った。彼は天に召されたが、彼の親切はずっと私の心に残っている。神は、試練の時でもこのような人を遣わし、慰めと励ましを与えてくださるのだなぁと心から感謝している。
自分で言うのもなんだが、A教会を辞めると決めていたので、晴々とした顔をしているのが印象的だ。
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