エイブたちは、ニューオーリンズの町に着いた。憧れの町に上陸したとき、エイブの胸はうれしさでいっぱいだった。この町で食料品や雑貨の数々を思ったよりも高い値で売った後、エイブ、ジョン・ハンクス、ジョン・ジョンストンの3人はしばらく町中を歩いてみることにした。
「どうだね。立派な町だろう?」彼らと一緒に下船した船員の一人が、パイプをくわえ直して言った。「これはアメリカ第一の商業都市さ。貿易で栄えているから、何でも手に入るさ」
しかし、なぜかエイブは嫌な気分になった。どうしてそういう気持ちになったのか分からなかったが、間もなくその理由がはっきりした。町の中央広場にやって来たとき、そこにテントが張り巡らされており、何かの市が開かれていた。
「ここでは何を売っているんだろう」。エイブが尋ねると、船員は片目をつぶって言った。「奴隷の売買さ。ここは奴隷市なんだよ」。3人は近づいて行った。
「さあさあ。働きざかりの男奴隷だよ。まだ若いから長いこと使える。いくらで買うかね?」人相の悪い男が呼びかけている。その前には、足を鎖でつながれた黒人の奴隷がうつむいて立っていた。その周りを男たちがぐるりと取り囲んで値をつけている。
「500ドル!」「530ドル!」値段はだんだん上がっていく。やがて、580ドルでその奴隷は買われていった。
「ついでに、この女奴隷も買わないかね。安くしておくよ」。年寄りの女奴隷が高い台に上げられた。白髪は乱れ、足が悪いらしく、引きずるようにしている。
「そんな老いぼれはだめだ!」「何の役にも立たんぞ」。男は肩をすくめた。「そうかね?そら、降りろ!降りろってば!」そう言うと、水牛の皮のムチでピシリとその体を打ちすえた。老女はあわてて下に降りようとして、石につまずき転がった。
「あっ、ひどいことをする」。エイブは思わず身を乗り出した。
「さあ、次は女奴隷だよ。綿つみでも、力仕事でも、雑用でも何でもできるよ」。別の女が台の上に乗せられた。はだしの両足に鎖と足かせをつけて、悲しそうに下を向いている。女は300ドルの値をつけられ、引いていかれた。
その時である。引き裂くような子どもの泣き声が響き渡った。「母ちゃん!母ちゃん!坊もつれてって!」3歳くらいの男の子が、泣きながら母の後を追ってその足にすがりついた。
「ええ、うるさい!子どもに用はない!」男は足を上げると、その小さな体を蹴った。子どもは転がり、火がついたように泣き叫んだ。
「坊や!坊や!旦那様、お慈悲です。この子も一緒につれてってください!」女奴隷はすがりつくように言った。すると男は怒鳴りつけた。
「ばかやろう!おまえを買ってくださる旦那は、子どもに用はないとおっしゃっている」。そして、そのままずるずると引き立てるように連れ去ってしまった。
「何てひどい仕打ちだ。こんなことが!こんなことが許されるわけがない」。エイブの胸から激しい怒りが込み上げてきた。それから、転がって泣いている黒人の子どもを抱き起こして優しく言った。
「坊や、泣くんじゃないよ。今に母ちゃん帰ってくるからな」。そう言って涙を拭いてやり、手を引いて歩き出そうとした。すると、「おい!その子どもをどこにつれていく!この子にはもう値がついているんだぞ」。奴隷商人が、鬼のような形相で子どもをもぎ離した。
「こんな子だって、もう5、6年もたてば100ドルくらいになるんだ」。そして、無理に子どもを連れ去って行った。
エイブは、こぶしを握りしめ、血を吐くような思いでつぶやいた。「おお、神様!こんなことが――黒人だって同じようにあなたによって造られた兄弟ではないですか。今にきっとこのかわいそうな兄弟を自由にし、幸福に暮らせるように働くことを誓います」
*
<あとがき>
たまたまその場所へ足を向けなかったら、その後の人生は全く別のものになっていた――ということはよくあります。エイブの場合もそうでした。
彼は以前から憧れの町ニューオーリンズで商売をしたいという夢をふくらませていたので、そのチャンスが訪れたとき、希望に満ちて2人の仲間と一緒にこの大都市を訪れたのでした。しかし、この町でエイブは二度と忘れられない体験をするのです。
上陸して市内を歩いているうちに、図らずもあるテントの前に出たのですが、それは「奴隷市」でした。彼の目の前で恐ろしい光景がくり広げられました。奴隷商人が、まるで家畜を扱うようにムチをふるって奴隷の売買をしているのですが、老婆を突き飛ばし、若い女奴隷を無理に子どもから引き離して売り、泣きながら母親の後を追う幼児を足蹴にし、転がしたのです。
この光景を目にしたエイブの心に怒りの炎が燃え上がり、彼は命を懸けてこの呪わしい「奴隷制度」廃絶のために闘う決意をするのです。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。