「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:15)
日本と米国の農家の方々の交流会が持たれました。ある米国人の方がホームステイ先のご主人に聞きました。「あんたの農地の広さはどれくらいですか」
するとご主人は、その米国からの友人を外へ連れ出して説明しました。「目の前に川が流れているじゃろう。そして川上に橋が見えるじゃろう。さらに川下にも橋が見えるじゃろう。この2つの橋の間にある畑と田んぼの全部がわしの土地というわけさ」
少々得意げに答えました。そして次に、そのご主人は米国からの友人に聞きました。「あんたの土地はどれくらいの広さかね」
米国からの友人は言いました。「朝、家の前から車で全速力で出発すると、お昼が過ぎてもまだ自分の土地の中を走っていますよ」
それを聞いたご主人は、びっくりしたように言いました。「そりゃー大変だなー!ワシも昔はそんな車に乗ってたもんじゃ」
2人の話は全然かみ合っていません。話がかみ合わないといえば、イエス・キリストと当時の宗教学者たちの対話も全くかみ合いませんでした。
ある時、イエスが病人を癒やされました。ところが、その日が安息日だったので、宗教学者たちとの論争を引き起こしてしまいました。
ユダヤ人は「安息日」は神を礼拝する日と定めて大切に守り、一切の労働を禁止していました。そして、イエスの時代には「禁止すべき労働」について細かな規則が定められていたのです。
その「安息日にしてはならない労働」のリストの中に「生命に関わらない医療行為」の禁止がありました。従って、イエスの行為は安息日の律法に対する重大な違反であると批判したのです。
この物語の中で注目すべき点は、イエスに病気を癒やしてもらった男の人は「自分を治してくれた方はイエスだと告げた」のです。彼にとって「癒やされた」ということは感謝と喜びですから、その原因となられた「癒やしてくださった方」つまりイエス・キリストに心が向けられています。
しかし、ユダヤ人たちはそうではありません。「安息日の律法を破ったのは誰なのか」と犯人探しをしているのです。いかにも律法主義に陥ってしまったユダヤ人らしい物の言い方です。
ここに大切な真理が語られています。人を変えるのは、律法を守ることによってでも、良い教えを実行することによってでもありません。人を救い、癒やし、解放し、つくり変えてくださるのはイエス・キリストご自身なのです。
『人生の転機』(クリスチャン新聞発行)の中に、イエス・キリストによって人生が変えられた人々の体験談が載っています。
佐々木満男さん(国際弁護士)
「キリストに出会ってから私の人生の大きな根本問題である不安、むなしさ、無力から解放されました。私と同じような問題で悩んでいるビジネスマンに一人でも多くこの聖書の真理を伝えたいのです」
佐藤美津子さん(クレオ・ジャパン代表取締役)
仕事の世界でエリートになろうと頑張っていたが、30代になる前に心の挫折を体験します。礼拝中「神様を信じ受け入れる人」と言われ、その場で立ち上がったのです。神の愛やイエス・キリストの救いが単なる知識から自分のものになったのです。「あんなに気が楽になったことはありませんでした。もう頑張らなくていい。このままでいいんだと思ったのです」
伊藤順三さん(外科医)
大学生の時、十字架にかけられたイエス・キリストが死の間際、自分を十字架刑にした役人らをかばって口にした言葉「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは何をしているのか自分では分からないのです」を読んだとき、2千年前の十字架が自分のためであったことを確信しました。「がんを患った人はたとえ退院できても、いつも再発の恐怖におびやかされます。イエス・キリストが与えてくださる本物の安らぎが必要なのです」「肉体は治療できるが、人の魂を癒やすのはイエス・キリストしかいません」
岩渕まことさん(ゴスペルシンガー)
27歳の時「イエス様を救い主として受け入れます」と初めて祈ります。「イエス様は今も生きておられ、私を愛してくださっていることは分かっていました。この愛を拒んだら、私はもう終わりだと心が責められたんです」。その日のことをこう言います。「初めて思った。空が青いというのはいいものだ。人はいいものだ。自分もいいものだ。この世界は生きている。その中に自分も生かされているとは、何といいのだろう」
佐々木炎さん(元暴走族、今牧師)
一匹の迷い子になった羊を捜す羊飼いの話を聞いて、キリストが自分を捜していると分かります。「この羊はまさしく自分だ!社会という枠からはみ出し、さまよっていた自分をイエス様は捜し出して丸ごと愛し受け入れてくださったんだ!何という大きな愛だろう」。佐々木さんはあふれる涙を止めることができなかったのです。「そうなんだ!自分はこの愛を知るために生まれてきたんだ」と確信したのです。
大倉めぐみさん(バイオリニスト)
小学校4年(10歳)で聖書キャンプに参加。初めて自分の罪を自覚し、十字架が自分の罪のためであったと分かったのです。「うれしさと感動で、その夜は一晩中泣いていました。それまでの毎日は、色で例えるなら黒。死にたいと思うこともありました。その人生が全く変えられたのです。今でもあの夜は人生で一番幸せな瞬間だったと言えます」
これらの人々に共通しているのは、素晴らしい教えを聞くことや、厳しい戒律を守ることによってではなく「イエス・キリストとの出会いによって人生が変えられた」ということです。昔も今も私たちの人生に大事なことは、イエス・キリストとの人格的な出会いによる新しい創造なのです。
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