「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方はその万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つも漏れるものはない」(イザヤ40:26)
まず初めに、簡単な質問をします。答えてみてください。
質問「パナマハットを作っている国はどこか」
正解「エクアドル」
質問「ラクダ毛のブラシは何の毛でできているか」
正解「リスの毛」
質問「太平洋のカナリア諸島の名の由来の動物は何か」
正解「犬」
質問「イエス・キリストとは何者なのか」
これについてはいろいろな答えがあると思います。「キリスト教の教祖」「偉大な宗教家」「優れた人生の教師」「世界の4大聖人の一人」「社会革命家」などなど。
実は、イエスは聖書の中で、自分自身が何者であるかを自己紹介なさっています。「まことに、まことに、あなたがたに言います。・・・『わたしはある』なのです」(ヨハネ8:58)。「わたしはある」という表現は「わたしは天地創造の神である」「わたしはキリスト(救い主)である」という宣言を意味しています。
その他にも、イエスはさまざまな表現を使って、自分が何者であるかを紹介なさっています。
「わたしはいのちのパンである」
「わたしは世の光である」
「わたしは羊の門である」
「わたしは良い羊飼いである」
「わたしはよみがえりであり、いのちである」
「わたしは道であり、真理であり、いのちである」
「わたしはまことのぶどうの木である」
これらの表現は、イエス・キリストが、人が人生で経験するどんな問題にも助けを与える方であることを示しています。
ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、ビヨン・ボルグ。テニスの好きな人には懐かしい名前だと思いますが、1980年代前半のスタープレーヤーたちです。この時代に14歳でプロ入りし、女子で世界ランキング2位にまでなったプレーヤーに、アンドレ・イェーガー選手がいます。
しかし、天才少女と言われて大活躍した彼女は19歳の時、肩の故障で引退を余儀なくされました。両親は大変失望しましたが、彼女自身は全く平安でした。彼女は熱心なクリスチャンで、引退を決意したとき、神様からの導きを頂いていました。
それは「わたしはおまえにテニスでの偉業を成し遂げさせた。これからは、別の道でお前を用いてあげよう」というものでした。
テニスは続けられなくなり、先のことはよく分からない。しかし、神がより偉大な業へと導いてくださることを信じ、喜んでテニスから離れることができたのです。これは、主が「良き羊飼い」として自分の人生を導いてくださるという確信から来るものでした。
イェーガー選手は現役の頃から、試合の合間に自主的に各地の小児科医院を訪れ、子どもたちを見舞っていました。がんの子どもたちを見舞ったとき、子どもたちが次の誕生日まで生きられるかどうかも分からないのに強い精神力を持って一日一日を一生懸命生きている姿に、心を打たれました。
彼女がテニスをやめて「これからは入院生活をしている子どもたちを助けてあげよう」と思ったとき、何か大きな神秘的な力に包まれるのを感じたそうです。まるで神が「そうだよアンドレ、それがおまえの進むべき道だよ」と言っておられるように感じたのです。
引退後4年間かけてリサーチし、非営利団体を設立しました。しかし、何をどこから手をつけていいのか分かりませんでしたが、祈っていると「心配しないで、わたしに信頼しなさい」という神の御声が来るのです。
やがて、広大な土地を寄付してくれる老夫婦が現れ、テニス仲間も多額の寄付をしてくれるようになり、映画スターのケビン・コスナー、ポール・ニューマン、スーパーモデルのシンディー・クロフォードなどが協力を申し出てくれました。
寄付された土地には立派な宿泊施設が建てられ、がんの子どもたちが1週間単位で無料で招待されます。
子どもたちは病院に閉じ込められた生活から解放され、馬で散歩したり、イカダで川下り、釣り、水泳、工作、タレントショーなどを同じがんの子どもたちと楽しむのです。純粋に子どもたちが子どもらしくその日その日を楽しく過ごす時間を提供するのです。
そしてアンドレは、子どもたちに神の愛と救い、希望を語ります。そして、多くの子どもたちがここでイエス・キリストを信じていくのです。現在では年間400万人以上の子どもたちとその家族がこの施設を利用しています。
アンドレはこう言います。「もし私のけががなければ、私はテニス選手として20年はやれたと思います。しかし、神は別の道を私に用意しておられました。それは私にとって最善の道でした」
彼女のこの決断が、がんの子どもたちにどんなに勇気や希望を与えてきたかは、子どもたちの話を聞けば分かります。
カレブ・ブロクター君は、がんのために16歳で天に召されました。彼の何よりの願いは、他の子どもたちのように、野球をしたり、学校へ行ったり、映画を見たりという「普通のこと」を楽しむことでした。
しかし、それは不可能なことでした。カレブ君はがんと診断された後、学校でつらい体験をしました。それは、学校の食堂に行ったとき、他の生徒たちが皆、彼を避け、彼の周りには誰も座らないのです。
彼はその時のことをこう言っていました。「あれには本当に傷つきました。あの傷は、手術や化学療法でも治らない傷でした。しかし、あの傷をボクはこの施設で癒やしてもらいました」
カレブ君にとって、毎年この施設で過ごす1週間は夢のような時間でした。彼はここで力を与えられ、また病院の生活に戻る勇気が与えられたのです。カレブ君は感謝のしるしとして、自分の葬儀の御花料をこの施設に寄付してくださいと遺言して、天に帰っていきました。
がんの子どもたちの人生は、確かに短いかもしれませんが、大人が生涯をかけて学ぶ以上のことを学んでいくのです。
エイミーという8歳の女の子は、こう言っています。「どんなことが起こっても、前向きの態度を持っていた方が、苦しみを乗り越えやすくなるの。その日その日を神様から与えられた日として一生懸命生きていくの。そしたら長さなんて関係ないわ」
ダン君は10歳です。彼はこう言います。「がんはボクから何も奪えない。両親に対する愛を奪えない。天国の希望も奪えない。友達への友情も奪えない。楽しかった思い出も奪えない。心の平安も奪えない。イエス様への信仰も奪えない。ボクはこれを全部持って天国のイエス様の所へ行くのです」
この子たちは、イエス・キリストが与えるいのちのパンを食べ、世の光として輝き、門であるイエスに守られ、良い羊飼いに導かれ、よみがえりのいのちに生かされ、道と真理といのちを握り、まことのぶどうの木にしっかりつながって、豊かな実を結んだのです。
イエス・キリストは、私たちのどんな問題にも間に合うお方です。
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