「けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです」(ヘブル4:2)
ある国の皇太子が、海でクルージングを楽しんでいました。
しばらくすると霧が出てきて、視界を遮りました。すると、進行方向正面に明かりが見えてきました。
このままでは正面衝突です。そこで相手にメッセージを送ります。「進路を変更してください」
すると、相手からメッセージが返ってきました。「そちらの方が進路を変えてください」
船長は少しむっとして再びメッセージを送ります。「こちらは皇太子の船である! もう一度言う、進路を変更せよ!」
すると再び、相手からメッセージが返ってきました。「誰が乗っていようと、進路変更するのはあなた方です。・・・こちらは灯台です」
灯台と勝負して勝てる船なんて存在しないでしょう。ある人々は、主なる神に対して同様な態度を取っています。
神が「もうこのへんで自己中心的な生き方をやめて、わたしを信じ、わたしに従いなさい」と言われても「いえ結構です。自分の人生は自分の力で、自分の好きなように生きていきます。どうか放っておいてください。余計なお節介はやめてください」
こうして、神の招きや警告を無視した結果、健康が壊れ、家庭が壊れ、人生が壊れていくのです。
聖書に「12年間長血をわずらった女」が登場します。この女性は、肉体的苦痛や経済的損失という苦痛、さらに愛する家族や友人たちと共に暮らせないという精神的・社会的苦痛を味わっていたのです。その上、神にも見捨てられたのではないかという宗教的(霊的)苦痛も味わっていたのです。
それが12年間も続いていたのです。身も心も疲れ果て、資産も使い果たして暗い日々を過ごしていた彼女の心に、一筋の光が差し込んできました。「彼女はイエスのことを耳にした」のです。
当時イエスは、多くの病める人々を癒やしておられました。彼女はそれを聞いて「私の病も癒やしていただけるのでは」と思ったのではないでしょうか。
あなたはイエス・キリストをどんな方だと聞いていますか。「2千年前の偉い人」「キリスト教の教祖」「人生の教師」「偉人、聖人」。しかしこのように聞いているだけでは、イエスから力を受けることはできません。
「イエス・キリストは私の罪を赦(ゆる)すために、私の身代わりとなって十字架で死なれた方です。そして3日目に死からよみがえり、今日も生きて働いておられる、愛と力に満ちあふれた生ける真の神です」
このように信じて告白するとき、イエスから力を受け、神の奇跡を体験できるのです。イエス・キリストは今日も、2千年前と同じように奇跡の神として私たちに触れてくださるのです。
彼女はイエスのうわさを耳にしたとき、他人事として聞かなかったのです。「お着物に触ることでもできればきっと治る」と考えたのです。イエスは自分の病いを「きっと治してくださる」という確信を持ったのです。それが「信仰」です。
そしてイエスの周囲に人垣ができていたにもかかわらず、人込みをかき分けて「イエスのうしろに近寄って、イエスの着物の房に触った。すると、たちどころに出血が止まった」のです。
着物の「房」(ツィツィオット)とは、神の言葉を象徴的に表した、着物の四隅につけられた糸の束です。彼女は信仰をもって着物の房(神の言葉)に触ったのです。神の御言葉に自分の信仰を結び付けたのです。
そのために大切なことは「信仰の告白」です。彼女も「お着物に触ることでもできればきっと治る」と考えていたのです。「考えていた」とは、「告白していた」という意味です。彼女はイエスのもとに近づいていくとき、信仰の告白をしながら一足一足進んでいったのです。「きっと治る! 必ず治る! 絶対治る!」
私たちはこの点においてしばしば失敗します。困難や試練にぶつかったとき、すぐに否定的で不信仰な言葉を口にしてしまいます。「私なんかどうせダメよ」「そんなこと信じられない。できっこないわよ」。否定的な言葉、不信仰な言葉は、神の働きを妨げてしまいます。
米国のアイオワ州に住む新聞記者のオーヴィル・ケリー(Orville Kelly)さんは、1973年(当時43歳)に検診でガンが発見され、余命6カ月と宣告されました。彼と妻は途方に暮れ、病気のことは4人の子どもたちに知らせることはできませんでした。
それから3カ月間、体は動くのにベッドから起き上がれず、朝ごとに、また一日死が近づいたと思い、自分の葬式を想像しては悲しんでいたのです。
そんな彼の姿を見て、教会の牧師が言います。「あなたは、残された人生をそうして死を恐れ悲しんで過ごすつもりですか。あなたはまだ死んではいませんよ」
ケリーさんはその言葉にハッとし、妻にこう言います。「ボクはまだ死んでいないんだ。ガンであることは確かだ。でもまだ死んでいない。家に帰ったら友達を呼んでバーベキューをやろう。子どもたちにも正直に話そう。そして再び生きることを始めよう」
彼らはバーベキューパーティーを開いて、自分の病気のことを打ち明け、自分が今感じている不安や恐れについて正直に話しました。
すると、心が非常に軽くなったのです。これまで感情を押し込めていたことが、どれほど負担になっていたのかを改めて思い知らされたのです。
この経験を通して、彼はガン患者とその家族が集い、共に励まし合う団体「Make Today Count(今日という日に価値を与えよう)」を始めました。それを新聞記事にすると、賛同する人が18人集まりました。
それは病気に負けず、いかに生きるべきかを共に学ぶ団体となり、全米に支部を持つようになりました。その後ケリーさんは、化学療法を受けながら年間300回以上講演し、余命6カ月と言われましたが、その後10年生き、多くの人々を勇気づけました。
ケリーさんはこう言い遺しています。「究極的には、全ての人が末期症状のようなものです。私は後6カ月とその時期が明確になっただけで、全ての人が死に向かって生きています。神を信じる者は、死を恐れることなく、毎日毎日を神から与えられた日として感謝し、特別な日として生きることで、その日を価値ある日とすることができるのです。それは余命があと何週間であろうと、何十年であろうと真実なのです」
ケリーさんの人生も、神に対する信頼を新たにしたとき、力強い歩みに変わっていったのです。私たちもこのように、信仰の告白をしながら一歩一歩、歩んでいきたいものです。
「きっとできる! 必ずできる! 絶対できる!」
◇