「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め」(コロサイ3:16)
ある探検家が、ジャングルの中で突然、どう猛なライオンに出会いました。彼は必死になって逃げましたが、崖の上に追い詰められました。もう絶体絶命です。
彼は死を覚悟して、目を閉じて祈り始めました。「主よ、どうか安らかな死を」
祈り終わって恐る恐る目を開けると、何と! 追いかけて来たライオンが、彼の前にひざまずいてお祈りをしているではありませんか!
彼はびっくりするとともに、安心してライオンに語りかけたのです。「なんだ、お前もクリスチャンだったのか! だったらオレとお前、兄弟分じゃないか! 仲良くしようぜ!」
するとライオンが言いました。「何をゴチャゴチャ言ってるんだ。オレの食前の祈りの邪魔をするな!」
米国の医学雑誌に載っていた記事です。
「食前の祈りは健康を促進する」(ジョン・ジャーウェン医学博士)
① 病気を予防し、免疫機能を向上させるホルモンが体内に分泌される。
② 病期の進行を抑制し、病原菌の侵入を防ぐ抗毒素が体内に分泌される。
③ 胃腸内の食物が腐敗したり発酵したりすることを抑制する「アンチセプチン」という成分が体内に作られる。
イエスは霊の糧となる「神の言葉」のおいしい食べ方のマナーについて教えられました。
「あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです」(ルカ8:16)
つまり「神の言葉」は、人に知らせるために聞くものであるということです。落語でも漫才でも、自分で聞いてハッハッハと笑うだけでいいのなら気楽に聞けるのですが、「同じことを次はあなたがやるのですよ」と言われると、一生懸命聞かなければなりません。
『ウェストミンスター大教理問答』(1647年)の160問に「御言葉の説教を聞く者に何が求められているか」とあり、その答えの中に「それについて瞑想し、語り合うこと」とあります。
昔から説教は、ただ聞き放しにするのではなく、聞いたことについて語り合い、分かち合うものであると考えられてきたのです。神の言葉は、それを人に語れるように聞かねばならないのです。
さらにイエスは言われました。「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです」。つまり、聖書の言葉を本気になって神の言葉として受け取るなら、その人の内側に驚くべき変化が生じるということです。
テサロニケ人への手紙第一2章13節を見れば、その意味が分かります。「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」
テサロニケの教会の人々は、パウロたちが語る言葉を神からのメッセージ、神の言葉として聞いたのです。語っているのは人間パウロです。しかし、パウロにその言葉を語らせているのは神ご自身であると確信しながらパウロの言葉を聞いたのです。
ですから、テサロニケの教会は素晴らしく成長を遂げたのです。
「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです」(1テサロニケ1:6、7)
ジョン・ウェスレー(John Wesley、1703〜91)は、18世紀にイングランドで神の大きな働きに用いられた牧師、伝道者です。馬に乗って36万キロの旅をし、4万回の伝道会を導き、50冊以上の本を書き残しています。
彼がある時、馬に乗って移動中、イングランドの田舎の小さな教会の前を通りかかりました。休息を兼ねて、馬を降りて教会堂に入ると、若い牧師が熱心に説教をしていました。経験豊かなウェスレーにとって、その若い牧師の説教はあまりにも未熟で、聞くに堪えないものでした。
ウェスレーはすぐに外に出て馬に乗って行こうとしました。するとその時、彼の心に神が語られたのです。「確かにお前と比べたら未熟かもしれない。しかし、彼の語っているのも、わたしの言葉だ。神の言葉だ」
それを聞くと、ウェスレーは馬を降りて再び中に入り、その若い牧師の説教に耳を傾けました。そしてこの経験は、ウェスレーの説教をさらに力強いものにしたのです。
「自分が語っているのは神の言葉である。私は神の言葉の代弁者である」という確信を強めたのです。まさに「持っている人は、さらに与えられ」るのです。
私たちも聖書の言葉を正しい食事マナーで頂きましょう。
① 人にも語れるように聞きましょう。
② 神の言葉として聞きましょう。
そうすれば、私たちの霊的健康は豊かに増進されることでしょう。
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