「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」(2ペテロ3:18)
3歳の女の子が、祖母の顔を繁々と眺めながら聞きました。
「ネェー、神様がお婆チャンやお母さんや私のことを造ってくれたの?」
「そうだよ」
「へー、じゃー神様って人間を造るのが段々上手になってきてるんだネー」
確かに外面だけを見るならば、私たちは年齢とともに白髪やしわ、しみが増え、背中や腰は曲がっていきます。では、人間は年齢とともに衰えていくだけの存在なのでしょうか。
そうではありません。パウロが、「外なる人は日々衰えていきます。しかし内なる人は日々新たにされます」と言うように、私たちの「内なる人」つまり霊的領域において、私たちは日々新たにされ、神との関係において日々成長していくのです。
昔、米国のオハイオ州に、サム・タニーヒルという男がいました。サムは5歳の時、両親が離婚し、その後12の家庭をたらい回しにされ、一度も愛されるという経験なしに成長しました。
10歳の時に自動車泥棒を始め、犯罪の道を歩き出しました。26歳の時、レストランに強盗に押し入り、ウエイトレスを殺害してしまいます。裁判の結果、死刑の判決を受けました。
ある日、刑務所にやって来たクリスチャンから一冊の聖書を渡されました。彼は、生まれて初めて聖書を手にし、読み始めました。
イエスが死人をよみがえらせ、あらゆる病を癒やし、悪霊を追い出すところを読んで、イエスが神の子であることを知ります。また、犯罪人や強盗でも罪が赦(ゆる)されたのを読み、自分も神が与えてくださる赦しと平安が欲しいと思いました。
そして、今までの思い出す限りの罪を告白して「イエス様、こんな私ですが助けてください」と祈ります。その時の気持ちを、彼はこう言っています。
「あんなに素晴らしい気持ちになったのは生まれて初めてでした。世界に向かって叫びたいほどでした。神の愛が心に注がれ、神の霊が私を包むのを感じました。夜ベッドに横たわったとき、生まれて初めて安心して眠りました」
「私は今、死刑囚として独房にいますが、今までのどこにいたときより自由を感じています。私の体はもうすぐ死にます。しかし今私は、そんなことはどうでもいいのです。イエス様は私に新しい体を与えると言われました。私は石のような冷たい心の人間でした。両手は血に染まり、全身罪に浸り切った男でした。しかし、神は私の罪を赦してくださいました。御子イエスの血が私の全ての罪を覆ってくださったのです。私は今、自分は世界で一番幸せな人間だと感じています」
面会に来た牧師が「どうしてそう思うのか」と尋ねると、彼はこう答えています。
「私が外にいたとき、何の希望もありませんでした。けれども、ここで私は救い主イエス・キリストに出会いました。今の私には、この後すぐに起こることは大切なことではありません。私にとって大切なのは、その後に起こることです。私の全ての希望はその世界にあります」
そしてサムは、これまでの27年間の人生を振り返り、こう言っています。
「最初の26年間は最悪の人生でした。もう二度と同じ人生を生きたいと思いません。けれども、最後の1年はイエス様に出会って最高の1年でした。この1年なら、あと何回でも生きてみたいです」
サムは残された最後の1年を、自分のことより他の人々の幸せのために使いました。別れた妻と2人の子どもたちにも、妻がとても良い人と再婚し、子どもたちにとっても素晴らしい父親ができたことを心から喜んでいると伝えました。
母親や親戚の人たちには手紙を書き、たくさん迷惑をかけたことを謝り、キリストが自分をどんなに変えてくださったかを伝えました。その結果、母親と親戚の人たちは教会に通い始めました。またサムは、1年の間に3人の死刑囚をキリストに導きました。
そして、1956年11月26日午後8時に看守の合図で電気椅子のスイッチが入れられ、殺人犯サム・タニーヒルは処刑されました。サムは眠るように死んでいきました。
サムの処刑に立ち会った牧師は、処刑前にサムが言った言葉を思い出していました。サムは牧師の手を握り、まっすぐ目を見て言いました。
「先生、天国で先生のことを必ず捜します。さようなら、またきっと会いましょう。そして教会の皆さんに伝えてください。主イエス様の救いを疲れることなく、恐れることなく宣べ伝えてください。世界中にはボクのようにイエス様の救いを待っている人がたくさんいます。何があっても諦めないでください」
サム・タニーヒルは、この地上の人生の最期の日まで、主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長し続けたのです。
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