ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。(ヨハネ18:3)
ユダは12使徒に選ばれるほどの信仰がありましたが、会計係をしながらみんなの献金を盗んでいました。
そんなユダが期待してきたのは、イエスこそが来るべき、イスラエルを再興する指導者となり、そばにいる自分は良い思いができるということでした。一向にその気配がなく、自分が期待した通りに動かないイエスに対して、ユダはとうとうしびれを切らしました。
最後の晩餐でサタンがユダに入り、ユダはイエスを銀貨30枚で祭司に売り渡しました。
「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた」(詩篇41:9)
サタンはユダの裏切りを使い、イエスを十字架につけて殺すことに成功しました。しかし、それによってイエスの十字架の死による贖(あがな)いが成し遂げられ、神のご計画は完成されました。
イエスを裏切るまでのユダは、献身者としてイエスと寝食を共にした、主の家族である共同体の一人でした。
私たちが気を付けなければならないことは、神を裏切ったユダのようにならないために、自分で自分を見張ることです。自分の利益や欲望を優先したいがために、神を裏切るようなことをしない。そのためには、自分の感情や欲を十字架につけ、日々自分の十字架を負い、キリストについていくことです。私たちの選び取りを神は見ておられます。
「人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです」(マルコ14:21)
おのおのの行いには、必ず報いとして刈り取りがあります。神を侮ってはいけません。神を畏れることが大切なのです。
「神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔(ま)けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6:7)
「罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです」(1ヨハネ3:8)
イエスを信じる人は誰でも、永遠の命を得ることができるのです。
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