英国の牧師や司祭らが10月、「大いなる愛宣言(Greater Love Declaration)」を発表しました。結婚や性、アイデンティティーに関して、キリスト教の伝統的な教えを支持する宣言です。一般信徒も「支持者」として署名できますが、宣言に対する直接の署名は、教職者や牧会奉仕者に限定されています。以下に、本紙による日本語訳を掲載します。(関連記事はこちら)
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大いなる愛宣言
結婚、性、アイデンティティーに関するキリスト教の教えの肯定
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)
私たち、キリスト教会の教職者および牧会奉仕者は、主イエス・キリストに対する自らの信仰と忠誠心が真実であることを証しする。主イエスは、罪の犠牲として友のために命を捨てるという最も大きな愛を示された。主は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金としてご自身の命をささげるために来られた(マタイ20:28)。それ故、私たちが今生きているのは、私たちを愛し、私たちのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によるのである(ガラテヤ2:20)。
人生の全ての領域において、キリストが私たちに呼びかけているのは、自己満足や自己実現ではなく、神と他者のための自己否定と自己犠牲である。人類の新たな頭(かしら)である主イエスに倣い、主イエスに仕える、そのような自己否定と自己犠牲の中にこそ、真の人間性、充実、満足が見いだされる。これが、キリストが命じた「大いなる愛」である。キリストによるこの教えは、歴史を通して反発を受けてきた。今日においては、特に結婚や性、アイデンティティーの適用に矛先が向けられている。
キリスト教信仰は、この世で人間が生きるために必要不可欠な型として、神が結婚を設計されたと教えてきたし、これからも教え続けるだろう。結婚は、教会に向けられたキリストの永遠の愛の証しである。それ故、結婚は一人の男性と一人の女性からなる契約的結合であり、公的で一生涯持続するものである。結婚が広く尊重されるなら、大いなる祝福が万人に注がれる。キリスト者の性に対する姿勢は、他の全ての事柄と同様、自己のための自己満足ではなく、他者のための自己否定であるが故、キリスト者は、神によって創造された者として、本来の性を真実に証しし、独身者においては純潔を、夫婦においては貞節を追求しなければならない。これこそが、聖書が明確かつ明白にこのように命じている理由であり、全ての時代において教会がこの教えに対して一貫して不変の服従を表明している理由なのである。
それ故、キリスト教会の教職者、牧会奉仕者である私たちは次のことを表明する。
- 私たちの主に倣い、私たちは生活のあらゆる領域で愛と自己犠牲を示すよう努める。私たちは、貧しい人、困っている人を思いやり、虐待されている人を慰め、弱い人を守り、共通善を追求するよう努める。私たちは、これら全ての領域における私たちの多くの失敗を悔い改め、私たちを助けてくださる神の恵みに期待する。
- それ故、性的な問題においては、結婚に関するキリスト教の教義を守り、教え、語り広める。
- 私たちは、私たち自身と同じように、この理想に及ばず、これからも及ばないであろう全ての人々を歓迎し、愛することを約束する。キリストは、私たちと同じように性的な問題やその他の形で、罪によって人生をむしばまれた人々を救うために命をささげられた。全ての人は神の似姿に創造された男性、また女性であるため、私たちは、その人が認識する性的・ジェンダー的アイデンティティーに基づいて人々を差別したり、異なる扱いをしたりしない。私たちは、キリストがされたように、全ての人に対しても、キリスト者に対しても愛を示す。
- 私たちは、キリストがされたように、全ての人が自分の罪から離れ、キリストの犠牲を通して過去と現在の罪の赦(ゆる)しをキリストに見いだし、聖霊の力によって神の創造の目的にかなった人生に修正し直すよう呼びかける。これには、純潔な独身生活、また貞節な結婚生活が含まれる。キリストは人々に心からの悔い改めを求めておられる故に、私たちは決してそれを強制しないが、キリストへの愛の故に、そうするよう促す。
- このような生き方は、全てのキリスト者に必要なことである。それ故、私たちは教会であらゆる年齢の人々にこのことを教え、それに従おうとする人々を支援する。私たちは、子どもたちに向けられた主の愛に倣い、子どもたちを性の対象とする動向や、常にさらされる精神的・身体的ダメージのリスクに子どもたちが立ち向かえるよう、年齢に応じた方法で子どもたちに教えることが特に必要だと考えている。
- 私たちは、主イエスが示され、それに向かうよう呼びかけておられる「大いなる愛」を、自己満足や自己崇拝、個人の自主性、また、あらゆる性的欲求と指向は神聖であるとする考えを中心とした、はるかに劣った愛に明け渡すことはしない。私たちは、そのような信念によって確立されたアイデンティティーが、結婚や性に関するキリスト教の教えからの離反を正当化することを認めない。これは、私たちの主の基準からすれば、全く愛ではなく、多くの人々、特に子どもたちに多大な危害を加える。
- 私たちは、友人関係や家族における非性的な愛の大きさや豊かさを教え、それをたたえることを約束する。このことは、一人の男性と一人の女性による結婚以外の性的欲求に基づく行為を拒否することによって可能となる。特に、キリストの体であり、神の家族である教会は、そのような愛がとりわけ見いだされ、促され、育まれ、享受される場である。
- このように愛するようにとの主の呼びかけを放棄させるような状況は、全く存在しない。それが法的制裁であれ、経済的処罰であれ、社会的汚名であれ、それは脅威とはならない。そのような脅威は、他の全ての問題と同様、性的な問題の中にも存在しない。それ故、結婚に関するキリスト教の教義を放棄させるような状況も、あらゆる時代のあらゆる人々に教えることをやめさせるような状況も、存在しないのである。
主への忠実さと周囲の人々への愛が私たちにとって高い代償であるとしても、私たちはこれらのことに邁進(まいしん)する。なぜなら、私たちの主イエス・キリストが言われたように、これ以上に大きな愛はないからである。